身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

スポーツ天然の私から見る箱根駅伝。

 今日、約束していた人が藤沢から車で来る予定で箱根駅伝に巻き込まれて来られないとのことで、まだ実家にいる。実は昨日は往路だったのに開催されていることを知らなかった。
 私はスポーツをしないどころかルールも判らないほどスポーツ天然である。専門学校の授業で野球のマジックという言葉が出てきて、意味を知らなかったのはクラスで只ひとりの男子学生である私だけだった。
 駅伝は走って襷を繋ぐというシンプルなゲームだが、肉体を使うことの楽しみも苦痛も知らないので、それはそれで面白くない。スポーツで肉体を使うというと、高校のときに体育の単位を落としそうになって根性でマラソンを走り切ったくらいか。
 母に付き合って、嫌々、箱根駅伝を観ていたのだが、幸いというか、国道1号線を下って戻ってくるという、東京の人間には比較的ファミリアなルートである。しかも、TVを付けたとき、すでに戸塚を通過していて、ほぼ東京都内のみになっていた。
 東京生まれ松戸育ちの私には川崎という場所が判らないのだが、中継を観ても、よく判らなかった。貿易の仕事をしていたとき、川崎汽船の船に船積することはあったが、川崎港で積むということはなかった気がして、それはすなわち川崎港まで荷物やコンテナを引っ張っていった記憶がないということだ。
 そうこうしているうちに、気が付いたら、あっという間に品川を過ぎている。寓居(白金)を通過するはずが高輪を走っていて、それは往路だったかと思う。もう、表に出てくるのは自分の家や近所が映ってほしいという、陸上競技とは全く関係のない気持ちだ。
 沿道の観客を見て、せっかく高輪で第一京浜を走っているのなら高輪ゲートウェイ駅を映してほしいとか、芝公園を走るのなら東京タワーを映してほしいとか。しかし、新橋から中央通り(銀座通り)を通って日本橋を渡って三越前まで走るというのは、東京という場所を見せたいというコース設定があるのだと思う。
 結局、そこからもずっと和光の時計台を映せとか日銀を映せとか、そんなことばかり考えていた。観光番組にしろというのか。しかし映す間もなく選手が走り去っていって、これだけ選手の走りが早いと観光的要素は入れられないだろうなと思った。