身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

江東区がオシャレになっていてビックリ。

 東雲にある死んだ叔父の家を片付けに行った。いくら都営住宅が当たったとはいえ、どうして生まれも育ちも麹町・麻布の叔父が東雲なんかに住もうと思ったのか判らない。

 叔父に行き方を訊くと目の前にある都バスの深川車庫に着く新橋からのバスが最も早いと言う。東京都交通局の障害者乗車証もあるので、それで行っているが、なんと休日の最も早いバスは午前9時過ぎ、そんなのに乗っていては待ち合わせに間に合わない。

 同系統のバスは日曜日の早い時間は東京スカイツリー行きになっていて、運転手に訊くと豊洲二丁目のバス停で深川車庫行きに乗り継げるという。乗り継ぎのときに同じバス停にいた人に、どこに行くんですかと訊かれ事情を話すと、そんな遠くから来たのですかと言われる。いや、来たのはもっと遠くの麻布なんですけど…。

 私の記憶にある豊洲というのは、大きな発電所があり、その電力を使った大きな工場が立ち並び、資材を運ぶ鉄道が走っているというイメージだ。途中、辛うじてIHIの前を通って、まだあるんだと思ったのだが、ららぽーと豊洲などができている。なんたって名前が石川島でっせ。

 歩いている人も工場の工人さんや職人さんというイメージがあるので、待ちゆく人が、皆オシャレをしていて、しかも労働者階級の人などいないので驚いた。高給取りと思しき家族を連れたパパと、あとはオシャレな女性ばかりである。考えてみれば銀座に近い。写真は都バスから見た豊洲プライムスクウェア

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 港区を振り返ってみても、考えてみればお台場などは私が若いころは十三号地を通る東京湾トンネルを通ってしか行けなかったのに、今はレインボーブリッジができて新橋や田町からもアクセスが良いし、まさに江東区にも抜けられる。

 しかし江東区の領土獲得は貪欲だ。十三号地は港区の物… と思っても、江東区青海に半分持っていかれ、大田区とは裁判までしている。しかし、東京の人間からすると、しょせん埋め立て地、夢の島の続きという気がする。

 帰りにバスで春海橋ということろを通った。運河沿いは公園になっているけれど、隣を走る廃線のあとに、これこれ… と昔の豊洲を見るような気がした。しかし昭和の遺跡のような橋の向こうは、タワーマンションである。

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 そういえば物故された文壇の大御所が豊洲タワーマンションの最上階に住んでいた。死んだときには覚えていないだろうが同じ東京出身ということで私を可愛がってくれて、スゲーところに住んでいるなと思ったら、今、住宅の価格を見ると、そう高くはない。

 この前、俳優が死んだときも、ネットでは、港区で、その値段のタワーマンションがあるんだと驚いていた人もいるが、東京の海沿いというのは安いものである。私も白金の今の家が立ち退きになったら品川の埋め立て地にあるマンションが買える値段になればいいと思う。もっとも団地サイズの小さな家なので、そう高くはならないだろうが。

 

P.S. 途中で私と同じ名の中央区湊を通った。湊というから新しくできた名前かと思ったら、湊町という町があったそうだ。