身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

東京人のお盆。

前書き

 独自ドメインを取った。DNSのホストレコードではてなブログから貰ったアドレスを指定。「ドメインの設定状況: 有効」になって、ヤッタァと思ったののも束の間。

 ブラウザーのアドレスバーに新しいドメインのURLを打ち込んでみるが、古いhatenablog.comドメインのBlogにリダイレクトされるのみ。

 名前解決はできていて、PINGは、自分で書き換えたのだから当然だが、はてなブログに貰ったホスト(13.115.18.61)に投げられているのに返ってこない。

 Google Serach Consoleの文字列もTXTレコードに登録して正常に認識されたのに、はてなブログのサーバーが絡むところだけ変。誰か教えてください。

COMMAND PING

 

本文

 以前のBlogで同じテーマで書いたはずなので、転載して手を加えようと思ったのだが、今、過去ログを見てもない。すでに1回書いたテーマで同じことを書くというのは、なかなか新鮮味がなくて上手く行かないものだ。

 さて、世の中はお盆である。コロナ禍で人の移動が抑制されているとはいえ、やはり寓居の周りは人出が少ない。暑さのせいもあるのか、買い物に行っても人がまばらだ。

 しかし、コロナ禍。まさか自分が死ぬまでに疫病が流行るとは思わなかった。私は戦後生まれなので戦争というものを知らない。それでも緊急事態宣言が出るのは戦争のときと思っていたので、同等の災禍が生きている間に襲ってくるとは思わなかった。

 私の実家は、千葉県松戸市の、地下鉄千代田線からの直通電車しか止まらない駅からバスに乗ったところにある。なんで、そんな不便なところに家を買ったのかというと、当時は地下鉄半蔵門線延伸計画があったのだ。

 親の実家は麻布にあり、祖父母の実家は麹町にあった(双方とも今はない)。麻布の家は私も実家を追い出されてから住んでいたし、麹町の家については面白エピソードを幾つか知っているので、機会があったら書く。

 さて、今も一部に残っているが、麻布といえば鬱蒼とした屋敷が立ち並ぶ屋敷街だった。しかも私の田舎は仙台坂上にあり、広尾の駅からドイツ大使館の横の南部坂を延々と上らなければならなかった。

 子供にとって、疲れ果てて、そんな陰気なところに行くのは嫌なものだ。それに、私の家庭は親の代で既に核家族だったので、特に親戚一同が集まるということはなかった。

 そんな持て余した子供を、親は銀座に連れ出した。40年前、子供がそれなりに楽しめる店などデパートの食堂くらいしかない。そして、それは別に我が家に限ったことではない。

 今の記憶だと何となく人出が少なかった銀座通り、三越の食堂。そんな三越の食堂で、まるで住んでいる町のように同級生に遭った。住んでいる町と違うのは、皆、親に連れられていることくらいだ。

 私が住んでいた町は、東京のベッドタウンということもあり、東京の、しかも港区出身の人が沢山住んでいた。私は仙台坂上の交番の裏に住んでいたが、ある友人は同じ仙台坂上の神社の向かいに住んでいたという。ある友人はブルックスブラザーズの上に住んでいたという。

 東京も田舎と同じような町なんだね… などと言われるが、別に特別な人が住んでいるわけでもなし、ある意味、田舎よりもコンパクトにまとまっているのでした。