身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

どうかし続けている。

 家を出なくなって、もう何日が経つだろう。何度も書いているが出なくても冷蔵庫の中以外は何とかなってしまうのが無職である。無職であるが遊んでいるというわけでもない。高等遊民というのがあるが、あれの高等でないヤツのような生活をしている。嬉しいことにマンションの自治会長が気に掛けてくれていて、会うたびに、テレビ飽きただろうヒッヒッヒと下卑た笑いを投げかけてくれる。私だけではなく住民すべてに同様の言葉を投げかけてくれるのだから、さすが自治会長だ。

 TVを観ることは悪いと思わないし、私としては積極的に奨励したいと思っている。なんで観劇が高等なことでTVドラマを観ることが遊びなのか。翻って文学作品を見ても、なんで大江健三郎を読んでいると流石といわれ、ラノベを読んでいるとバカにされるのか。確かにラノベはクズが多いと思うが、クズばかりではないだろう。TVを一括りにバカにする人は、クズでないTV番組を観てもバカにされるようなことしか体験できないのかもしれない。本だってなんだって、学ぼうと思えば何からでも学べる。

 しかし、である。観たいと思ってもTVドラマが全く観られない。私は荒唐無稽な作品が好きで、細部など、どーでもいいタイプなのだが(「小さな巨人」を面白く観たので、観ていないけど「半沢直樹」なんか好きそうな人だろう)、昨日書いたように、ちょっと観ただけで白けている。広げる風呂敷の広さなのかもしれないが感情移入ができない。他方、ここに、ちょっと思い出に残ったドラマのことを書こうと思ってストーリーなどを調べていたのだけど、プロデューサーの言葉を読んで追体験して泣いてしまった。涙で物が書けないということがあるのだと実感する48歳。

 きっと、TVドラマではなく、昨日書いたように机の上にラジオ、あるいはradikoを起動したスマートフォンを置いて流していれば、あるいは面白く聴けるのかもしれないが、どうも、それも駄目なようだ。いつも、こういうときは行きつけの喫茶店に行くのだが、そういう気力も沸かない。どうも悶々としている今日の私だ。ちなみに、この喫茶店もTVドラマ「コンフィデンスマンJP」に出てきて、皆に私の好きそうな店と言われた。私は虚の世界に生きている人間のようだ。ちなみにコンゲームというのは、ああいうものではない。最近、これぞコンゲームだと思ったのは、たしか篠田節子さんの『となりのセレブたち』だったかな。

 

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