身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

若きことは七難隠す。

 某総合病院の眼科に行ってドキッとした。更衣室でも銀座のクラブでも感じたことがない「女」の匂いを感じたからだ。その匂いの出所を考えると、どうも、そこで働くスタッフではないかということに考えが至る。

 ちょうど持って行った鷺沢萠氏のエッセー集『ありがとう。』に『「汚い」人たち、「もったいない」人たち』という1編があった。鷺沢萠氏齢30歳は、男子高校生に、

あえて言おう。私は感じるのだ。あ、汚い、と。

とのことだ。他の性別や年代では感じないコレを、氏は

一生のうちでわずかな時間しか、そしておそらく限られた性でしか身にまとうことが許されない「汚さ」

と表現する。

 もし、そういうものがあるとしたら、ある一定の年代の女性が放つ「綺麗さ」というものなのかもしれない。

 私が通った高校は女子高の併設校であるにも関わず男女比が9:1くらいの高校だった。新興校でスポーツが盛んだったのだが、男性の体育教師が顧問を務める女子運動部について吐き捨てるように言っていた。「あいつら男くせぇんだよ。」

 この教師が感じる「男くささ」というのは、鷺沢萠氏が書かれている「汚さ」ではないのだろうか。

 そして、今日、病院で感じたものは、それの対比にあるもののような気がする。私の周囲にいる都会的で洗練されている女性たちを思い浮かべると、浅黒い肌や無造作に束ねた髪など、それ自体は、あまり綺麗だとは言えない。

 しかし、その浅黒い肌も健康的と思わせ、無造作に束ねた髪の下に覗く色気も何もないウナジでさえ、なにか光を放っている。それは、同じ性にしても、いい歳をした男性教員に「あいつら男くせぇんだよ」と思わせるものとは対極にあるだろう。

 そう考えると、それはやはり「一緒のうちでわずかな時間しか、そしておそらく限られた性でしか身にまとうことが許されない」何かである気がする。