身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

文京区民の選民意識と港区民の選民意識。

 Twitterの方で軽く触れたのだが、ちょっとFacebookのグループで絡みがある人がいた。いつも東大の話ばかりしていて東大卒で東大の博士号を持っていることをチラつかせる方であるが、見に行ったら、思った通りFacebookを公開でやっていた。

 どこまで引用していいのか判らないので、難ありだと困るから引用もしないしTwitterのツィートも消したが、文京区民というのは東大出身者ばかりで、しかも、文京区で「正しい」育て方は小学校から名門と言われるところに行かせ東大医学部に行くのが「正しい」のだそうだ。

 ただ、彼の子供は私立に行くのは中学からだけど正しい道を歩くのだそうで、そういう自ら選んだ道に行かせる親は素晴らしいと自画自賛している。たしかに幼稚園生が東大医学部に行くという道を自ら正しいと判断して、それを選べたのなら素晴らしい話だ。

 この人の正しい、素晴らしいということは、ほとんど、この人の「個人的」見解の域を出ないと思っていた。まず、自分の経歴を、東大卒、本郷在住としか明らかにせず、出身高校すら明かしていないのが怪しいと思ってしまう。そもそも、中学から名門私立に行かせるのが文京区では正しい(当たり前ではなく正しいという表現を使っていた)という考えは想像できない。

 私の生まれは東大病院で、小児科も地下鉄に乗って東大病院まで通っていた。勤務先も一時、都心に比べれば土地が安い菊坂にビルを建てて、そこに通っていたことがある。幸田文から名前をいただいたくらいだから小石川の人たちと交流させていただいたこともあるが、主たる人々は商店主だったせいか、文京区民にとって東大に行くのが当たり前という話は聞いたことがない。

 東京人にとって、順当に(という表現も正しいかどうか判らないが)東大に行く道といえば、公立中学から日比谷高校あたり(東京は学校群制を引いているので同じ成績でも日比谷に入れるとは限らない)に入るのではないかと思う。私の恩師は新宿高校から東大に入った。私は松戸の育ちなので、県立東葛飾高校(通称・東葛)というところに入るのが妥当な線だろう。それでもエリートと言われた爆風スランプの方々も東大には進んでいない。

 ちなみに、私はプレッシャーで胃炎を起こして県立(東葛)は受験できなかった。進んだ高校については何度も書いた。また、私が生まれる以前に他界した叔父がいるのだが、番町小・麹町中・日比谷高校と進んだのだが、大学は早稲田だ。そう考えると、進路というのは何が正しいのか判らない。これに関しては、以前、ある私学が出している雑誌に書いた話もあるが、またネットストーカーに襲われる可能性があるので具体的には書かない。

 しかし、この方の投稿の続きを読んでみると、文京区では… 文京区では… の連発で、どっかで聞いたことあるぞ… とデジャブを感じた。ピンとくる方もいるだろう、文京区幼女殺人事件である。角田光代氏の『森に眠る魚』の世界であり、主人公は子供ではなく母親である。その方の個人的見解だと「思っていた」と過去形なのは、個人的見解に過ぎないのではないと悟ったからだ。

 新参者は文京区民というのは頭がいいのがデフォルトなどと思っているのだろうか。私が住む港区でも新参者は金を持っているのがデフォルトと思っていて辟易するが、金を持っていても教養がないから小学校から幼稚舎に入れたり塾に通わせるのよね、という彼らの方が、よほど可愛いと思う。たまぁに麻布中に入れたいという野心家もいるが。

 今、まだ引き続いて鷺沢萠氏の著作を読んでいるが、それが終わったら『森に眠る魚』を読み直そうかと思う。書評サイトを見ると、ハッピーエンディングとはいかないまでも希望が残る終わらせ方と書いてあるのを散見するが、以前のBlogで書いたように、角田光代氏の小説で読後感が良かったものはないので、どうしても遠ざけてしまう。