身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

好きなこともできない今日このごろ。

 あいかわらず、朝から目眩と意識の低下が止まらない。学者をしている友人が、いちばん勉強しなくてはならない大学生時代に精神病にかかって勉強ができなかったとアラフィフになった今でも喚(わめ)いているが、その程度で済んでいいよなと思う。私は、今現在、なう、自分の実力を高めるだけでなく、実力を発揮することすらできないもの。

 すでに書いた通り、私は高校時代、後の校長に1日じゅう正座させられて授業に出させてもらえず、しかし特待生なので午後6時まで学校に居残りで勉強しなければならないというカリキュラムが組まれていて、何も習っていないので何も勉強ができないという日々が続いていた。家に帰ったら、また監禁。3年間も監禁されていたというのより、精神病で1年、勉強できなかったというのなら、まだいいじゃないか。

 精神を病んで入院させられ、やっと勉強ができると思ったら、医者は親の言うことを信じて、私は院内でも適切な勉強させてもらえなかったどころか、特待生で高校に行っているくらいなのにバカにしているのかと思える中学校の問題集などをさせられた。私が普通に自宅からではなく病院から大検を取りに行って1発で普通に受かっているのを見ても、そういうことを客観的に見られないのかね。

 私は普通に大検を取って普通に一流といわれる専門学校に進学し(これも書いたが、Fランクの大学は端っから受けなかったし、普通の大学は内申書で落ちた)そこから大学への推薦も取ったのに行かせてもらけなかったことも書いた。何度かいても書き尽くせない恨みである。このとき、2浪して入った東京経済大卒の叔父に、立教みたいな他人に言えないような三流の大学には行かせない言われたことも書き加えておこう。実は私、東京経済大という名前自体を知らなかった。

 大検を受けに行ったとき、高卒レベルどころか中卒レベルの問題を出し合って盛り上がっているサポート校クラスメートの集団がいたりして大丈夫かと思ったのだが、彼らの目的は進学したいということではなく、高校卒業レベルという認定が欲しいとのことだった。試験というのは受かればいいというものではない。受かったら何かできるという登竜門だからソレは試験と呼ばれるのだ。

 かつて、「カッコつけこそ物の下手なれ。」というエントリーをアップしたが、肩書やナルシズムが動機というのは、しょうじき判らない。単にイキがっているだけに思える。大学も、学部はどーでもいいからレベルが高い大学に行きたいというのも判らない。高校の同級生で才能がないのに努力だけで東大の理Ⅲに入った奴がいたけど落ちこぼれたものね。

 まぁ、開校以来最も優秀だといわれた特待生である私を退学にして出来が悪い生徒を性欲だけ(東大に進学する動機としてナンパした女とヤリ放題と言って憚らなかった)で東大に入れてしまう高校には、だいぶ問題があるのではないかと思う。先日、このBlogに貼ったGoogleの口コミにも、特にOB特待生から、頼むから入学させないでくれてあげてくれという投稿が相次いでいる高校である。

 東大の法学部を出て官僚として出世したいという、出世が目的みたいなのは、渋々ながら例外として認めよう(ここで思ったのだが、前述の理Ⅲ落ちこぼれ君は、普通に勉強できる人間でも官僚になろうという人間でもなく、どのグループにも所在ない自分というのにショックを受けなかったのだろうか)。しかし、イイ会社に入りたいから、そのためにイイ大学に入りたいから勉強するって、なんか違うと思う。少なくとも私が「イイ大学」に行きたいのは「他人に言えるような」大学に行きたいからではなく、ちゃんと勉強がしたいからだったし、普通に勉強していれば、普通に、そういう大学に入れると思う。

 私は社会に出て1年目は零細ブラック企業にしか就職できなかったが、翌年には一部上場企業から(専門学校の仲介だが)ヘッドハントされた。これも、私はスカウトされたのに、雑誌などを見ると東大を出てもアノ会社の入社試験は受からないなどと書かれてあって、だから、そういう志で大学に行く奴は駄目なんだと思う。

 本当に本末転倒だ。好きでやっていれば、実力や結果は無理をしなくても自然に付いてくるものだし、評価されるものだ。大学なんかに行かなくても実力があれば私みたいにヘッドハントされますよといいたいところだが、大学を出ていないために、実力がある作家と取引がある大手文芸出版社の入社試験を受けられなかったのは今でも痛いと思う。

 無理しなくても勉強はできたのに、コースに乗る実力はあったのに、親の妨害でコースに乗れなかったというのは口惜しい。経済的理由で勉強できなかった人たちも同じ思いだろう。のちに自費で慶應に入って一安心と思ったのだが、これも親に辞めさせられた。今度の理由は「他人に言えない大学」だからではなく「大学に行っていなくても立派な人は沢山いる」だからだそうだ。