身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

読めないの次は書けない。でも諦めない。

 締め切りひっ迫と向精神薬で朦朧としているので文章・構成がなっていないのは許してほしい。

 

 少し前に、本を読めなくなって久しいという話を書いた。

 そうしたら、友人の山姥 (id:yamauba) さんが、ある作家さんの本に出合ったことで読めるようになったというコメントをくれた。

 その作家さん・きしべのあざみ (id:azamibrog) さんは「はてなブログ」でBlogも書いているとのことで、今日のエントリーを読ませてもらった。そして私の高校時代を思い出した。

azamibrog.hateblo.jp

 

 私が本格的? に精神を病んだのは高校時代のときで、教師による虐めが原因だった。高校では特待生で、成績はダントツに良かった。それがいけなかった。

 封建的というか社会主義的な学校で、通学時の服装チェックで女の子のスカートの中までチェックするという学校だった。ちなみに江戸川学園取手高等学校という。

 そこで、学年主任に目を付けられた。「成績が(良いのが)気に食わない」と、自分の授業だけでなく、すべての授業中、廊下に正座させられた。

 そのくせ、特待生は部活の時間、居残りの自習があった。自習であるから誰に訊くわけにもいかず、しかし内容は全く判らない。精神を病んで退学した。

 担任に相談すると、上司なので言えないという。学年主任は後に校長になるのだが、「気に食わない」で教師を即日クビにしたり、労働組合を潰したりして行政指導を受けている。それでも今は学校法人の理事である。担任の判断は、そういう意味で正しかった。

 学校自体、道徳の時間を潰して受験勉強をさせて、これも行政指導を受けている、私から見るとトンデモな学校である。

 道徳といえば、次の校長は論語に基づく道徳教育を掲げて実践せず保護者に訴訟を起こされている。これまた、自分の功績を称える銅像を校内に建てる校長である。

 母親が、特待生として受け入れて絶対に東大に入れてみせますと言われて洗脳され、そこに入れられてしまった。それまで東大には1人しか入っていないのによく言うよ。

 私も四谷大塚出身だから自分の頭で東大など入れるわけがないのを知っているし、入っても付いていけないのは目に見えていた。実際、東大に入った生徒は、みな応用力がなく落ちこぼれて行った。

 精神を病んだ私は、まだマシである。そのときの報道で、退学者だけでなく自殺者も出したらしい(婉曲)と報じられていた。

 そんな恐怖政治を引かれていたのに、国語の教師だけは私を可愛がってくれた。なぜ、私には親切なのか。君には才能があるから… と言うのだが、本当のところは判らない。ただ、そんな学年主任のことなど歯牙にもかけないで守ってくれた。

 まぁ、国語というのは、普段、使っている以上、学習などする必要はなかったから、テストでは常にトップではあった。「学習しなくても」ということろが買われたのだろう。

 その国語の教師は隣のクラスの担任であった。のちに、そのクラスの生徒に聞いた話によると、社会に出てから卒業証明書か何かを取りに行ったらすでに亡くなっているとのことだった。

 私も当時から随筆を書いていて、そういえば書くことを勧めてくれた最初の人物は彼のような気がする。

 コラムニストデビューしたのは高校を辞めてからである。そのときに出版社から記念にいただいた名刺入れを今も使っていることも、既に書いた。

 社会に出て、本格的な文芸誌に書くことが1度だけあった。そのときに思ったのは、その国語教師に見せられなくて残念ということだった。

 また、それ以来、ろくな物が書けていない。企業の広報誌などに書くことはあるが、娯楽作品ばかりである。代表作も何も、まともな作品はデビュー作しかない。

 

 書くどころか読むこともできない… そんなときに山姥さんの紹介で出合ったのが上記のきしべのあざみさんのBlogエントリーだった。

 高校の先生に褒められるのに40年かかった(と雑に括れる話ではないのだが)という話を読んで勇気づけられた。

 続ければいいってものではないだろうと思うので継続は力という言葉は好きではないのだが、やはり、腐らず続けることが大事だと思う。

 漱石が「坊ちゃん」を発表したのが人生50年といわれた時代に39歳である。人生100年の今、これからも腐らずに書いていきたい(小説ではないけど)。

 頑張れ、頑張る、俺。