身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

気の緩み。

 今日も昨日に続けて千代田区役所へ。昨日、取得した以前の戸籍を貰って来たのだが、戸籍が6ページとかになっていて、早い話が、筆頭者から3代目まで同じ戸籍を使っていることになる。私が祖父母から数えて3代目ということは、いれば従妹まで同じ戸籍を使っていることになり、それは必要な部分だけ戸籍を分けた方が合理的だ。何代先までの戸籍までが社会的に必要なのか知らないけど、「平成6年法務省令第51号附則第2条第1項による改製」により、それ以降のものは端末ポンで取れて、それ以前のものは人手でというのは、合理的な処理かもしれない。

 しかし、父のときに生まれてから死ぬまでの戸籍を取るということをしたので、母の母方を郵送で請求すれば終わりだ。「いっとき」本八幡市川市)に住んでいたと聞いているので、嫌な予感は、その「いっとき」以前があるのではないかということだ。まぁ、それ以前は、また東京に戻って来るから楽なのだけど。

 前回は、そんなことをした記憶がないのだが、私が祖母(母の母)の孫であるという証明をするエビデンスは必要なのだろうか。前回は父の戸籍だったから不要だったのかと思ったが、除籍になった後の人は載っていないはずだし、しかし、そんなものを付けた覚えはない。とりあえず取った戸籍のコピーを同封することにする。1回、手続きをしたことがあるからってベテラン風情で気が緩んでいるなぁと自分でも思う。

 さて、前回、実家に行ったときは、ちょうどコロナ禍がピークのころで、近所だとマスクをしなかった私は周囲からの視線が痛かった時期だった。家に帰るのは東京メトロを使うのだが、石原さとみさんの「レッツエンジョイ東京」のポスターが全て剥がされていて、なんか戦時統制みたいだな… と思った。出掛けられなくても行きたい気持ちまでは動かしようがないし、自由主義では動かしてはいけない。

 さて、今日、千代田区役所に行ったら、途中、もう、何がソーシャルディスタンスだという密度で人がいる。マスクをしていない人も平気の平左。こっちは、マスクをしてるために、最も高価なコーティングがしてあるレンズを入れた眼鏡をしているのに曇って前が見えないのに…。さらに、私は耳が痛くなるのが嫌で眼鏡を緩く調整してあるから、メガネはマスクの下に付けないと落ちる。逆をいうと、すぐに拭けない。

 前回、実家に行ったときから、特に高齢の女性で手作りのオサレなマスクをしている人がいたが、あれは、単に「みんなと一緒に頑張ってますアピール」だという記事もある。飲み屋が大繁盛なのは経済的には良いのだが、まず、私が危惧するのは酒による体調の悪化である。その次は、同じ皿を使ったり、酒で口調が荒くなることでの飛沫感染だ。感染の鈍化に合わせて様子を見ながら気が緩んでいくのではなく、ホッとしたように一気に気が緩むことで、自粛ポリスみたいなピリピリしたのがいなくなるのは有り難いことだが、それで第2波が来るのは怖い気がする。

 

P.S. なかなか手に入らなかった鷺沢萠氏希少本が新品コンディションで入手できた。もう、こうなると作品のファンではなく作家のファンだね。

f:id:urigayatsu:20200520202114j:plain