身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

コールドチェーンが動いている限り。

 今朝は午前3時に目が覚めて眠れない。もう、眠いのなんのって。良かったこと? 朝焼けが綺麗だった。もう、頭が朦朧として写真を撮るときに露出を補正するのを忘れるし、そう思おうとしているだけで、本当に良かったのかどうかは判らない。

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 起きていても眠くて何もできないので横になってスマートフォンをいじったりする。LINEにポイントカードが登録できることを知り、というより登録して忘れていたのだが、Tカードを新しいデザインのものに切り替えたら画面も変わっていて驚いた。

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 しかし、この、根性で起きているというのは、はなはだ苦手である。昨日のエントリーの気持ちの問題ではないけど、気力があれば何でもできるというものではない。頭が働かなければ、寝ているのと一緒である。

 

 私たちの世代が、よく、若いときにExcelでマクロを使うと手抜きだと言われたということを言うが、そういう考えというのは未だにあるのだなぁというニュースを見た。

 中学生か何かがビニールか何かで手作りの防御服を作って医療機関に寄付したというニュース。竹槍で戦闘機を落とすのを彷彿とさせるという意見が大半。

 いかに士気の発揚だけなら無駄だというニュースではなく、それを励讃してしまうところに、この国のメディアの痛さがある。

 無益な行為を自己満足で行なうのは構わないが、あなたのためというのはお門違いも甚だしく、他人にマスターベーションを見せていい気になっているようなものである。

 幼稚園生が砂場で泥団子を作って寄付したいと言ったら、常識がある大人は、気持ちは褒めても、それを食品だと認めたり行動に移させるはずがない。

 人の役に立ちたいという気持ち自体は素晴らしいと思うし、自分も持っていたいと思う。しかし、そのために何ができるか考えると、とりあえずできそうなことは、何もしないで我慢することである。

 感染防止のための経済活動の抑制は自粛ではなく要請や強要ではないかという声も聞くし、実は私も、そう思う。

 タッチーなムードであるが、あえて言いたい。コロナ禍が、こんなに酷くても、コールドチェーンは動いているし、食料の供給は止まっていない。医療関係者や物流業者、公務員は働いている。これに対する感謝の念は、みんな抱いている。

 ゴミが減ったのも、活動が活発でないことの表れ以外の何物でもないのだが、それはすなわち、ゴミの処理という現状では危険な仕事の負担を減らすことでもある。

 冒頭に書いた気の持ちようの問題で、何の解決にもならないのは判っているが、少なくとも、そう考えれば、気持ちは明るく保てる。(「あえて」書いたけど、そんな私から見ても平田オリザ氏関係のニュースは怖い。)

 

Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.  (by John F. Kennedy, Inaugural Address on January 20, 1961)