身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

バーテンダーの力量にカクテルのレパートリーの多寡は関係ない。

 長ったらしいタイトルであるが、そのままだ。

 私は常日ごろ書いているように連続もののTVドラマが大好きで、今シーズンだと「10の秘密」などを楽しんで観ている。その中に登場する向井理さんは、なかなか好きな俳優さんである。

 その向井さんが俳優を目指す前はバーテンダーを目指していたというのを友人から聞いた時は驚いたが、その友人が、いかに向井さんが真剣だったということの例えとしてカクテルのレパートリーの数を挙げた。

 しかし、はっきりと言おう。バーテンダーの力量にカクテルのレパートリーの多さは関係はない。これは、漢字をたくさん知っている作家が良い作家でないのと似ている。大人になると辞書を引くことが許されるように、バーテンダーもカクテルブックを見ることは、さほど恥ずかしくはない。

 さほど、というのは、やはりマティーニやマンハッタンが作れないのは小学生並みの読み書きができないようなものではある。しかし、マティーニといっても、今ではストレートアップで作るのが普通になったが、オンザロックスで作るレシピもある。ギムレットも、フレッシュで作るのかシロップで作るのか。作家でも、言葉を知っていることと表現力が広いことは違う。

 私自身、バーというところに行かなくなって20年以上が経ち、カクテルの名前のほとんどを忘れている。久しぶりに行ったバーで、グラスホッパーアレキサンダー、どちらがどちらか忘れていたが、そんなものはバーテンダーに任せておけばいいと思う。バカにされたけど。バーテンダーの力量というのは客が飲んできたものから次に何を飲むのか考えたり、レシピを変えることに出るのではないのかと思う。

 こんなことを書こうと思ったのは、ここのところ、このBlogに頻出している、ある小説家(誰かは敢えて書かない)が、著書は100冊を超えと紹介されると、以上に不機嫌になるのに似ているからだ。ちなみに、このBlogエントリーのタイトルを単純に「多ければいいというものではない」としなかったのは、「多い=粗製乱造」という意味で使いたいのではなかったからだ。