身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

婉曲的な表現、説明的な表現。

鍵のない夢を見る (文春文庫)

 

 小説を読んでいたら久しぶりにキラキラネームについて書かれている表現が出てきた。作中には「キラキラネーム」という単語は出てこない。小説が発表されたのは2012年で、当時、そういう表現があったのかは不明。これも少し前に書いたが、辻村深月先生は直木賞に相応しいが、別にこの作品で受賞にならなくても良かった気がする。

「そういう名前」がどんなものを指すのかはよくわかっているつもりだった。龍来亜(るきあ)とか乃絵琉(のえる)とか、画数が多くて難読な名前たち。虐待の嫌なニュースでもよく見る名前のように思っていた。本人がまだ子供のままといった感じの若い母親とか、内縁関係の夫とか、無職といったキーワードとセットになっていることが多い。テレビで教育関係の評論家だという人が「今の人たちは名付けもペット感覚なんですかねぇ」と話しているのを見たことがある。(辻村深月「君本家の誘拐」文藝春秋社版『鍵のない夢を見る』204ページ)

 私も無職なので虐待とか子供のままとか内縁関係とかとシノニームに使われているのは苦笑せざるを得ないが、あぁ、そういう集合ね、と思わせる表現だ。まぁ、私の場合、働きたくなくて働かないのではないことは書いておく。

 実例が2つ挙げられているが、キラキラネームという単語を使わず、そういう名前、と表現してしまうところは、さすが小説家だなと思う。キラキラネームという言葉だけでは言い表せないことを表現している。そして、この辺の表現力というのは、どうも女性作家の方が優れているような気がする。

 同時に、この表現、負の意味でも、単純に「頭の悪そうな名前」というのよりキツいのではないかと思った。まぁ、キツかろうが何だろうが、適切ならば別に構わない。そうしたら出てきてきたのが、これ。原因は推測に過ぎないが、相関関係は林先生の体感としてあるという。

www.huffingtonpost.jp

 

 ちなみに私の本名は「有」と書いて「ユウ」と読む。これも、キラキラネームではないが、まだ私が子供のときには新しい名前で「タモツ」と呼ぶ人が多かった。これも過去に書いているが、ユウという呼び方が普及したのはダルビッシュ有さんとか長嶋有氏とかが出てきたあたりからではないか。先日、同じ字でタモツと呼ぶ新入社員に合ったときには逆に驚いたが。

 某社に在籍中、私がいた部署で、すべての男性社員の名前が漢字1文字・音読みで、珍しいなという話になった。1人は開高健ではないが普通に男性らしい名前だったのだが、部長は、当時すでに50歳で、読みも女性と言われても不思議ではない読み方だった。キラキラネームについて上記のことを書きながらも、やはり例外はあるのかもしれないなと思った。