身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

特別な日はケーキ。

 今年の誕生日は、母に近所の回転寿司屋に連れて行ってもらった。

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 あまりに古いエントリーなので引用はしないが、私は、かつて、ファミレスは、ちょっとリッチに親子で食事をしましょうというものではなくなってしまったなぁと書いた。昨日、回転寿司屋でも同じことになっていた。ジャージの男性が1人で来ていて、会計をしたら数百円だったので、それは普通の食事をする店だなと思った。

 また出先なので正確に引くことができないが、角田光代著「森に眠る魚」に、冴えない田舎出身の自分が嫌いで生活感のない家や高級レストランの常連という立場や外車などを欲する人についての描写が出てくる。そういう描写をされて、さらにそれを客観的に読んでしまうと下らない人間に思えるが、逆もまた然りだ。

 実家で昼からTVを観ていると、普段は見ないコマーシャルなどが流れる。マクドナルドの宣伝で木村拓哉くんがコーヒー1杯でもいいなどと宣伝をしていて、私が子供のときの、誕生日パーティーが開けるんですというコマーシャルとは真逆だ。

 特別なことは、金の高い安いではない。宝石店に行って名前が入れられる最も安い安い指輪をください! と叫ぶのは金より愛の例え話として、ありがちな話。しかし、今は、サービスが簡素化してしまって、価格が高い店に行っても特別なサービスというのは受けにくくなっている。

 このように、金の高い安いと、特別な感じというのは比例もしない。今どき、どんなことで特別な感じが得られるのだろうと思っていたら、母が近所のケーキ屋からケーキを買ってきてくれた。うちは家族が私と母しかいないのでホールで買うことはなく、すなわち1ピース2・3百円ていどだと思うのだが、今も昔も、ケーキは、その、特別な感じの内のひとつかもしれない。

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