身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

作家ではなく作品に。

 私は、気に入った作家が見付かると、とことん同じ作家の本を読み込んで、他の作家には見向きもしない。なので、流行りの作家の名前を聞いても、さっぱり判らない。色々な人に本を読んでいそうで読んでいないと言われるが、本よりTVドラマが好きな当人としては、なぜ、読んでいそうと思われるか不思議だ。

 さて、昨年下半期選考対象分の芥川賞直木賞の受賞作が決まった。前段で書いたような私だから、感想としては、またコンビニに「文藝春秋」が並ぶんだろうな… 程度で、別に受賞作家の作品を読みたいとも思わない。直木賞は中堅作家にも与えられるから候補作家の中に知った名前はあったものの、芥川賞の候補作家には知った名前は1つもなかった。

 私が読む読まないは別としても、今でも私は芥川賞受賞作家の名前を知らなかった(厳密には聞いた今でも知らない)ように、それらの賞を受賞したということは、読者に名前を知ってもらう良いキッカケになると思う。

 私は、このBlogに何回か登場している名前であるが、私は直木賞受賞作家を1人、知っている。その先生は、まだ直木賞が新人賞だったときに受賞していて、150枚以下の作品で受賞したのは自分が最後だと言っていた。ちなみに2回目のノミネートでの受賞である。

 新人賞なので過去の実績など見ようものがなく、書き続けてはいるものの、小説家としては良作には恵まれなかった。ただ、もともと純文学志向が強い人で、その系統のものは、売るためというよりライフワークとして書き続け小説家デビュー15年にして泉鏡花賞を受賞することとなる。ちなみに、その人の言葉を借りると、前者は読者の方向を見て書いた作品、後者は文学の神様の方を向いて書いた作品だそうだ。

 現在の直木賞において、さる受賞作家が、受賞するとは思っていたけど、どうして、この作品で受賞したのか理解できないと言っていたのを耳にした。私が拝読している読書家の方々のBlogでも当選作が的中しないのは、そのためもあるだろう。候補作をノミネートこそするものの、作品ではなく作家に与えらられる賞なのだと思う。

 しかし、この選考基準というのは、私にとっては面白くない。上に書いた直木賞を獲った後の作品が酷評され続ける作家というのも可哀想ではあるが、やはり、その作家の本を読んで金太郎飴のように面白いというより、その1編だけでも、ものすごく面白いというものを読みたい。

 私としては、公募文学賞だけでなく、芥川賞直木賞において、一発屋、大いに結構だと思う。