身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

制服と車内マナー。

 また午後3時過ぎまで起きられない。昨晩は早くに寝ていて、主治医も訪問看護師も、朝、1回、目が覚めるから、どうも薬が残っているわけではないようだということで話が一致している。

 窓から見える景色は雲ひとつない日本晴れ。しかし、昔は東京タワーも六本木ヒルズも一望だったのに(六本木ヒルズができたのは私が引っ越した後)今や、高層ビルばかりだ。

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 さて、明日から実家に行くことにして、訪問看護師には、少し早く来てもらうことにした。本当は、先週、渋谷で買い物をして、地下鉄銀座線旧駅の乗り納めをしようと思ったのだが、それどころではなかった。ちなみに実家は地下鉄千代田線(からの直通電車しか止まらない常磐線)沿線にあるので、渋谷から乗ってしまった方が楽だ。

 実家に行く電車に乗ると、私が退学した江戸川学園取手高校の生徒が乗っている。それが、ものすごく嫌だ。きちんとマナーを守っている生徒は、まずいない。3人掛けの座席は1人、7人掛けの座席は2人で座るのが当たり前である。こんなことを書こうと思ったのは、浜松市の公立中学校で女子生徒の下着を白に限定したりポニーテールを禁止しているというのがニュースになっていたからだ。

 そんなのは可愛い方で、ブラックよりファシズムに近い学校内の序列については「虐待と洗脳。」で書いた。ここに記した校長は、ヒトラーは自らの権力を使ってアウトバーンなどを整備したのだから立派な人物だと言って憚らない。

 規則とは破るためにあるという言葉があるが、この学校では、校則とは教師が生徒を虐待するネタとして存在していた。毎朝、校門のところで教師が女子生徒のスカートを捲って検査をするのは有名な話で、町中を友達と並んで歩くと原稿用紙10枚の反省文という、よく判らない規則もあった。私は幸いにも書いたことがないが、せめて、書くことは校則を破って申し訳ありません程度のことではないか。何を10枚も書けというのだ。

 私は、その、後に校長になる教師に目を付けられたことで、他の教師に、その分、同情して、大目に見てもらっていたようなところもあった。校長と反校長の権力争いに左右された。上に引用したエントリーのように、後の校長の言いなりにならない教師がいたのだが、後の彼らが、あまりに不遇だったので、なぜか私が罪悪感を感じている。

 制服は、悪趣味な派手に作られていた。千鳥格子のズボン、ダブルのブレザー、シャツは白いナローカラーでなくてはいけないのにネクタイはウィンザーノットで締めなければならい。それは、別に学校関係者やデザイナーのセンスが悪いのではなくて「悪事を働いたとき即座に判るように」という理由だった。

 悪いことが即座に判るということは良いのか悪いのか知らない。その制服を見ただけで、近隣住民は、皆、目を合わせなくなった。電車の中での悪いマナーを見ても然り。老人が重い荷物を持って立っているので、見兼ねて譲ってやれよと言うと、こっちは年寄りと違って勉強しているんだよ! と逆切れされた。

 この学校、「論語教育事件」で飛んでしまったが(ヒトラー万歳が論語とか笑ってしまう)それ以前に、道徳の時間に受験勉強の時間が足りないからといって小論文の授業をして学校教育法違反でも指導を受けている。そんな学校だから、明日も投稿しているはずである。年の瀬に、電車の中で、あの生徒たちを見ると思うと、行く前から胸糞悪い。