身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

感情のインバウンドとアウトバウンド。

 昨日、電話で言われた母からの妄言が頭から離れず、午前4時過ぎ、苦しくて、どうにもこうにも眠れなくなった。まさか午前4時に電話をするわけにいかないので、訪問看護師にSMSを入れておいた。けっきょく1日中、苦しんだ。

 この人、きちんと休みを取っているのだろうかと思うのだが、朝いちばんに折り返し電話があった。自分に同じようなことが起こると思って苦しいのかと訊かれ、それはないと答えると、他人のことを思っての不安や恐怖なら、一種の思い遣りのようなもので、まだ安心なのだそうだ。

 そこで、ふと前任のクズ医者に掛かっていたときのことを思い出した。心臓が針の筵の上で転がされているような思いをしているのを寝転んでいたいための言い訳だと言われたことは何度も書いているが、外に出たら発狂して何かしそうで怖いと言うと、狂犬がウロウロしているわけではないのだから大丈夫に決まっていると言われた。実際、それで外出して事件を起こしてしまうわけだが、クズ医者は平気の平左である。

 そのときの私の担当保健師に、何かされそうなのではなく何かしそうなのだから、その解釈は正しくないと言われた。今回、訪問看護師が訊いたのも、これに近いのではないかと思う。自分に向かって何かされそうというのと、他人に何かしようとすることの違い。

 例によって調子が悪いときに訊いたので、よく理由は覚えていないが、訪問看護師に、こんなことで度々、電話をしていていいのかと訊くと、どんどん電話をしてくださいと言われた。前任の保健師にも相談相手は複数、作っておくことと言われたが、相談にならない人が何人もいるより、数人の相談ができる人がいる方が、よほど心強い。

 区の精神障害者地域活動支援センターに、何回でも話をしますが、良くないことを取り込まないように長時間しないことにしていますという人がいる。この人は新人(といっても年の功はベテラン)といっても、私が言いたいことがツーカーと通じて楽になる。しかし、それでも長い時間になると不要なことを取り込んで良くないので短時間で切り上げているという。

 話は少しズレるが、相談に乗る際に判らないなら判らないなりに想像力を働かせるべきだろうと思う職員がいると書いたが、私も他人のことは言えないなと思った。ある職員に胸が痛いと言ったら、恋をして胸が痛くなるのと似たようなものですか? と訊かれた。私は唸った。恋をして胸が痛くなるというのは単なる比喩表現で、本当に、そんなことがあるとは思っていなかったからだ。本当に恋煩いで胸が痛くなる人っているの?

 

P.S. TVドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」の再放送をしたそうで、ロケ現場は横浜とされていたが一部は寓居前で行なわれていた。商店街は、ウチが写った! と大盛り上がり。出てくる蕎麦屋は寓居の隣なのだが、しばらく行列が続いた。また劇中で蕎麦を買って帰る場面があるのだが持ち帰りはないとのこと。