身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

時間を持て余した。

 自宅に帰着。普段は2時間かかる実家から自宅への道のりも1時間少々で済んで、ほとんど疲れなかった。このように安楽で普通に通勤できそうと思う時がある一方、ジッとしていられなくて発狂しそうと思う時もある。しかし、だいたい、ヘルプマークを付けていてもシルバーシートですら席を譲ってくれない。どうせ嘘だろうと言われて障害者手帳を見せたこともある。

 今日は、落ち着いて過ごせて、普通に通勤できそうどころか、座れてスマートフォンを見る余裕もできた。ホームに降りた時には電車が来ていて乗れるところに飛び乗り、普段とは違う車両だったので、即位の礼に伴って空いていたのかどうかは不明。普通の休日より空いていた気もする。

 さて、自宅にいるときは時間があっても精神的に余裕がなく休まらないのだが、実家にいるときは読む本も持って行かなかったので、やることがなくて困った。TVも母が観ているし、配信を観たくてもPCもない。それでTVのニュースを見ていて、ニュースの現場にいる人は意外と日常の物を知らないのかも知れないと思った。

 半鐘、というものがある。ものがあるというか、そんなもの、だれでも知っていると思っていた。TVでレポーターが、あの鐘のようなもの… と言っていて、の、ようなもの(落語かよ)ではなく、鐘の一種の半鐘というものだけど、と独りで突っ込んでいた。

 また、三和土という言葉を知らないリポーターもいて驚いた。玄関を入ったところにあるコンクリートが敷き詰められた土間と言っていて、コンクリートが敷き詰められていたら、その時点で土間ではないだろう。三和土は一戸建てに限らずマンションにもあるので、どうして、その言葉を知らないで育ったのか不思議だ。

 以前、日本人が知らない日本語という番組を観たが、さすがに、むら猪口(むら=むらさき)は醤油皿で良いだろう。同様に蝿帳ていどは仕方がないかなと思う。このような言葉は通訳ガイド試験に出そうだが、義務教育で教える必要はないのだろうか。ちょっと知らないにもほどがあるのではないかと思った。