身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

松戸市根木内。

f:id:urigayatsu:20191021213404j:plain



 

 まだ実家にいる。昨日、散歩に出たら散歩というにはハードで、疲れてしまい帰るのを断念した。

 散歩は根木内というところに行ってきた。私の出身小学校・中学校は松戸市立根木内小学校・中学校というのだが、根木内という町域にない。

 根木内は戦後まで村だったらしいが、地名自体は戦国時代からあるようである。私の出身小学校・中学校は、その由緒正しい地名を活かそうということらしい。

 ちなみに小金原の真ん中にある小学校・中学校は貝の花小学校・栗ヶ沢中学校といい、なぜか学校の名前に地元ではブランド地名である小金原という名前は使われていない。栗ヶ沢は旧地名で、貝の花は貝塚があったことに由来する。

 栗ヶ沢も根木内も村だっので、私も村部に住んでいたのかと思ったが、相続の手続きをしていて、私の実家があるところは元は小金(江戸時代から町)であったことを知る。

 さて、その根木内の中心、根木内城址へ行ってきた。子供の頃は自転車で移動していることもあり、たいした距離ではないと高を括っていたのだが、アップダウンが激しく汗をかいてしまった。

 子供の頃は単なる藪だったところが公園になっていた。城址が国道6号線で分断されてしまったと聞いたので、そのまま廃れていくのかと思っていた。

 しかし、公園といっても、本丸があったところは単なる広場で、遊歩道があるが、降りると柏市側に出てしまいそうなので県道に戻る。この県道は、調べられる環境にないが、たぶん流山と柏を結ぶ道だ。それを柏方面に。

 真っ直ぐ行くと光が丘(練馬じゃないよ)・麗澤大学に出る。そうしたら湿原が公園の一部として整備されていた。子供の頃は菖蒲が生えていて木道があり、文化的な場所だったのだなと思うが、今は、そういう豊かさは感じられない。

f:id:urigayatsu:20191021134209j:plain

 

 体力的に光が丘まで行くことは困難だと思ったので小金原に戻るが、このような改造車が大量に打ち捨てられていて、さながら昭和時代の暴走族の遺跡である。

 駅から歩ける範囲ではなくバスも通っていないようで住宅はない。産業廃棄物の処理場と、それにまつわる仕事をしている人たちの寮しかなかった。たしかに昭和の時代だったら暴走族に積極的にコミットしていたであろう人たちだ。

 根木内は、そんな荒んだ広大な土地だった。行けども行けども住居表示が根木内で、本当に、このまま行ったら小金原に戻れるのか不安だった。小金原に住んで根木内と名が付く学校に行っていたのに、小金原と根木内の境も判らない。