身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

松戸市小金原。

 まだ松戸市小金原の実家にいる。盛り上がりに欠けるものの、今年は小金原の町制施行50周年だそうだ。我が家は区画整理事業とともに引っ越してきて、1歳だった私も47歳だから、そんなものかという感じがする。マツモトキヨシ創業者で松戸市長だった松本清の肝入りで作られた町だが、そのマツモトキヨシが新松戸に移転したのは裏切りかと思う(笑)。
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 しかし民間(たしか三菱)主導の新松戸の発展は予想しなかった。私が子供のころの武蔵野線は高架に大きく「東京外環状線」と書かれていた貨物線で、武蔵野線になっても最初のころは1編成の中で色とりどりの車両が混ざっているという状態だった。
 さて、小金原だが、これも今は実家にてスマートフォンで書いているので同じ端末で調べ事をするのは面倒だからしないが、小学校で習った郷土史の記憶だと、たしか小金原の開拓事業の名前は「北小金土地区画整理事業」という。
 もともと水戸街道(現在の国道6号線)の宿場町として栄えた小金という町があり、文字通り水戸藩(徳永家)と江戸を結ぶ交通の要所であって、本陣なども置かれ賑わったらしい。今も「小金下町」というバス停があるから、きっと本町とか南町とか色々とあったのだろう。中核となる東漸寺は名刹である。
 明治に入って、水運の衰退を危惧した流山が鉄道建設に反対したために松戸に常磐線が通り、小金の北側に北小金という駅ができた。小金原は、その東側に面している原っぱだったそうだ。水戸藩のお狩り場で、小金牧と呼ばれていたらしい。「殿内」という名前のバス停があるが、お狩り場の殿中という意味らしい。
 というのが、私が小学校で習った大まかなところ。これだけスラスラと出てくるということは、私も、それなりに郷土愛があったのだなと思う。小金原は昭和の終わりに高級住宅地として少~し有名になり、バブルのころの土地の値段は現在の3倍もした。
 それが、数十年、不在にしていたら過疎である。考えてみたら私の同級生も、皆、東京に出戻っているので、当然といえば当然である。私の同級生いわく、荒川を渡ると遠くに来たなという感じがするそうだ。
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 小金原の中央は「小金原中央商店街」という商店街で、商店街といっても道を挟んで両側に店があるのではなく、市場の小売り店版といった感じだ。公園に隣接し、電鉄系のスーパーマーケットだけでなく市役所の支所や図書館・郵便局・交番・病院も同じ場所にある。そして、土地は市有地になっている。
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 これも、地下鉄半蔵門線の延伸が松戸まで決まっていたので、そこから先を誘致して、ここに駅を作る予定だったらしい。たしかに、駅の上に高層ビルを建てるには、ちょうど良い広さである。しかし、当時の帝都高速度交通営団(現在の東京メトロ)は、押上まで開通した時点で全線開通とアナウンスしたそうだ。
 そもそも地下鉄千代田線からの直通電車しか止まらない常磐線各駅停車も2本に1本しか乗り入れてこないので、それが全て直通で入ってこない程度の需要しかないと思えば当然である。でもね、私が学生のころは乗車率は250%まで行ったの。
 久しぶりに散歩に行ったら、まだ高級住宅街然とした街並みがあって、捨てたものではないと思う。その先に千駄堀(千駄ヶ谷ではない)・八ヶ崎という少し広大な土地があるのだが、千駄堀には武蔵野線の駅ができ、八ヶ崎は食品市場の跡が国内で2番目の住友テラスモールという商業施設になるそうだ。はたして三井アウトレットモールを抜くことができるのか。この辺の発展は、まだまだ面白くなりそうだ。