身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

自分が生きている意味を実感したとき(鷺沢萠『「私」という「自分」』を読んで)。

 母が銀行の取引明細の手数料が高いと言ってゴネる。郵便局と地方銀行は540円だけど都市銀は月に何百円かで、調べる月分払うのだと言っても気に食わないと言う。領収書をコピーして送れとか面倒なことをさせる。こっちが説明しよとしてもガーッとまくし立てて切ってしまう。

 こちらから電話をすると、再度、相続の手続きなどするからいけないと言う。そして、それに納得したかと思うと、今度は私が選んだ税理士が悪いと言う。本当、死にたくなる。よって、引用が間に合いませんでした(出典と思える資料を漁っても無かったのですがネタ帳に引用してありました、6月17日追記)。

この惑星のうえを歩こう

 

 『「私」という「自分」』という作品(大和書房版『この惑星のうえを歩こう』所収)については折々で触れてはいるが、今日は、まさに、この作品が書いていることを実感したので、そのことを書こうと思う。まぁ、実感しただけなので、本文としては「実感した」で終わってしまうようなことだ。

 昨日から、駄目な自分、生きている価値のない自分というものに囚われていた。例えば、会社にも行けないし、部屋も汚部屋だし、会社にいたときは、誰にでもできることができなかった。簡単にいってみれば自分が生きる意味を見失っていたのだ。

  他方、このBlogの移転を計画しているので今後ともお読みいただける方は連絡くださいとアナウンスした。そうしたら、昨晩、私が把握していない読者の方から連絡があったのだ。嬉しかったが、言い方は悪いが普通に嬉しかった。

 かつて、他の読者の方にいったことがあるが、このBlogの読者は2・30人である。そんな貴重な読者の方が、これからも読みたいと連絡をくれることが嬉しいのかもしれないし、あるいは、もっと読者がいるかもしれないと思って嬉しいのかもしれない。

 しかし、その喜びは、なんか俗っぽい喜びのような気がしないではない。本だったら発行部数が3万部とか、音楽だったらオリコン30位とか、会社だったら株価4,000円とか、そういう、数字で計れるような、単に数に喜んでいるのに近いような気がする。

 さて、私は、目下、眠剤の調整をしていて、今朝は昼まで起きられなかった。朝セブンをやっているうちに起きようと思ったのに、午前11時までの、それすら終わっている時間である。起きてからは、書かねばと気が急いて例の文学作品の方に取り掛かっていた。

 取り憑かれたそれから離れて、汚い話だが、なんと6日ぶりにシャワーを浴びた。それも、明日は人に会う予定があるので無理して浴びたという感じだ。しかし、そういうときのシャワーというのは、たいていが息も絶え絶えだったり、異様に疲れたりするのだが、今日はサッパリした。

 そして、シャワーを浴びているとき、頭を殴られたように、鷺沢萠先生のいっていることが実感できたのだ。

誰かのためになりたい、誰かの役に立ちたい、という思いは、「私」という「自分」を確立するため、「私」という「自分」を架空のものにしないため、「私」という「自分」をどこかでこの世界と繋ぎとめておくための、ほとんど利己的とさえ呼べるほどの希望なのである。

 文中に「他者を思い他者を愛し、自分の思いをできるだけたくさん他者に伝える、ということが、私にとって冒頭で言った『やらなければならないこと』なのだ」という一文があるのだが、高校生向けのラジオ講座で、講師が「筆者は小説家だから」と解説をしていて、そんな浅はかなことではないと思った。

 自己肯定感が高まったとか、言葉は読み手・聞き手がいて初めて言葉として認識されるという身も蓋もない話でもない。私は読者に生かされている… シャワーを浴びながら、英文学者がよく使う「神の啓示のように」それが実感できた。

 私は鷺沢萠先生のように、それを言葉で相手に伝えられたかどうか判らないが、もっと書かなくては、読んでいただかなくてはという思いに掻き立てられた。自分だけではなく、読者のためにも良いものを書かなければ… そういう思いを強くした。

 鷺沢萠先生は自身をを「へなちょこ」と称している。『私の話』に、こうある。

———こんな下らないことで落ちこんだりしてる場合じゃないっすよね、ハルモニ。ああごめんなさいアタシってば「へなちょこ」で。でも「へなちょこ」は「へなちょこ」なりにがんばりますから…。(河出書房版165ページ)

 また、『サギサワ@オフィスめめ』に、こう書かれている。

なにせ、やはり人間はバカです。でも、だからといって「人間やめちゃえ」などと、グレるのは簡単なことなんですね。そうして、人間は簡単なことからやりはじめます。人間はバカな上に無能でもあります。けれどバカで無力なものはそれなりに、きっとどこかで力を発揮できることがあるはず。頑張ろう。頑張れ、俺。(角川文庫版250ページ)

 私は「ダメ人間」を自任していて、モットーは「駄目なら駄目なりに頑張る」である。この辺から、私は鷺沢萠先生に惹かれるものがあるのかもしれない。

 シャワーを浴びながら決意を新たにしました。書きます、もっと良いものを、もっと自分に納得が行くものを。読んだ人が勉強になるものを。頑張ろう。頑張れ、俺。これからも読んでいただけると、書いた甲斐、生きてきた甲斐があります。 

 

 『「私」といいう「自分」』は高校の教科書に採用されていて、教材として下記のPDFファイルで全文が読めます。ただ、教材なので冒頭に読むための手引きが載っていますが、先入観なく読んでもらいたいので、いきなり本文を読んでください。

https://www.nhk.or.jp/kokokoza/library/radio/r2_genbun/archive/2015_genbun_03_04.pdf

 

 

P.S. Blogの移転先を絞っていますが、MovableTypeベースのところが多く、使い勝手などから難航しています。以前、私が使っていたサービスで"Goolge Serch Cosole"と「Google アナリティクス」が使えるところがあったので、少しカスタマイズしてみます。ご連絡いただいた方には、決まり次第、お返事差し上げます。しかし、これだけ強力な読者がいると、ネットストーカーなんて怖くないという気もします(笑)。