身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

死ぬのが不安になった。

 自殺未遂から医師曰く「九死に一生を得て」生還した身としては何だが、次の文章を読んだら急に死ぬのが不安になった。

 検死の結果、死因は心不全ということになった。だが新宿で泥酔していた父が、突然の発作に襲われて即死に近い状態で死んだのか、発作に倒れたあと(たとえばすぐに救急車で運ばれたら充分に助かったはずなのに)寒さのせいで死んだのか、それとも私たちには想像もつかないようなもっと違う要因があったのか、それは誰にも判らない。生来から心臓が弱い、というわけではなかった。内ポケットの財布の中身は小銭を除いてきれいに抜き取られていた。(鷺沢萠著『ありがとう』角川文庫版50ページ)

 ここが鬱の鬱たる所以なのだろうが、そして一昨年、自分の父を心不全で亡くしているからだろうが、私が、もし、文中の「父」の立場だったらとリアルに想像した。

 文脈からすると筆者が「即死に近い状態で死んだ」と考えている可能性は薄そうだ。そうなると、かなり苦しんで死んだということが考えられる。

 人間1人、生きているのは苦しい。どうして、そんな苦しんで生きながら、死ぬ時まで苦しまなければいけないのか。その理不尽さを考えてしまった。

 この筆者(鷺沢萠)の本を読むと、いつも死について考える。それは筆者が既に自殺という死因によって物故していることが大きい。

 もし、筆者が生きていたら、その後、どんな人生を歩んだのだろう。死ぬほど苦しい半生が今も続いていたら、どんな気分だったのだろう。

 果たして、鷺沢萠は自殺して楽になったのだろうか。死んでいなかったら今のSNS社会を、どう生きていたのだろうか。そんなことに思いを馳せてしまう。