身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

判りにくい不遇さ。

 先日、実家の隣人から電話が架かってきた。私の家の冷蔵庫のドア開放アラームが鳴るので警察を呼んだという。

 何がいいたいのか、今ひとつ判らない話である。だから何ですか? と訊いたら、家族なんだから頻繁に家に帰って家族の様子を見ろと言う。

 この電話をしてきた家の娘は中学の時にグレて高校にも受からず、30歳を超えても男のケツを追い回して定職に就かないような人間である。

 私は、そんな出来の悪い娘ではないのだから、しっかりと家族の面倒を見て近所に迷惑を掛けないようにするべきだというのが、その電話の主張だった。

 私は別に経済的に困ったことはないが、このBlogをお読みの方は御存じのように、決して恵まれた家庭環境に育ったわけではない。

 場末の貧しい家に住んでいて、父がギャンブル狂いで女を作って出ていったとかいう話だと、なぜ簡単に同情が引けるのは誰もが認めるところであろう。

 ウチの娘もグレて男のケツを追い回して何年も沖縄に入り浸っているような娘でと言えば同情が引けると思っているのか。それを自分で言うのか。

 しかし、郊外の少し広い家に住み、家に車があっただけで、そこに幽閉されていたとか車に触らせないどころか免許も取らせてもらえなかったなど、誰も信じてくれない。

 親が金を持っていれば、何をしても、金を持っているだけで良い親なのか。ふざけんなと言いたい。

 それを、隣家は、可愛がって育ってもらったんだから、それぐらいしてやりなさいよとか、ハァ? である。

 男のケツを追い回して高校にも行かせなかった娘に車を買い与える甘い親の考えることというのは、こういうことなのかと、よほど言おうかと思った。

 私は隣家の、そういう家庭事情を見ているが、向こうは、こちらの家庭の何を見てきた? 私が親に暴行されているときに助けてくれたことがあったか?

 

 恵まれた家庭環境といえば、例のネットストーカーは、私のBlogについて書いたことなどを、こう書いて炎上させた。(原文は黒地に緑文字の明朝体。)

 彼は悪し様に書いていますが、父は公務員であったとのこと、住んでいるところも高級と言って良いエリアです。そして、それなりの資産もあった様子。
親の期待を背負って、また、それに応えようと賢明に生きてみたものの、残念ながら自分の出来は決して期待に添えないものであった。
彼の心は、そういう自分を許せなかった、あるいは受け入れられなかった。
故に、そう生きたかった人生の記憶を自ら作り出した。
しかし、現実は現実、どこかで辻褄が合わなくなります。
そのギャップを埋めるため、他者を悪者にすることで僅かに自分の正当性を示そうとした。

  私が熱中症になるまで部屋に幽閉されたことも、私が「自ら作り出した記憶」で、どこかと辻褄が合わないことなのだそうだ。それに、面識もない人間のことを、よくぞ、真実を知っているように書けるものだ。どこと辻褄が合わないのか。

 このストーカーは、私が「麻生」という聞いたこともない高級住宅街の出身であることを盛んに取り上げて、それをもって資産家だという。

 また、私の父は公務員といっても高級官僚ではなく地方公務員である。それになんですか「賢明に生きる」って。

 私は麻生ではなく麻布というところの出身だが(しかし自分で東京出身といっているのだが、そうであれば麻布という地名を知らないはずがない)生活保護で暮らしている人は沢山いる。

 

 実家の隣人もそうだが、このような嫌がらせを延々と繰り返している某民間カウンセリング協会の会員は、ぶん殴っただけでは気が済まない。

 ネットストーカーが所属していたカウンセリング協会に再度、警告を入れたところ、私が協会にしているのは、その会に対して何かしているのではなく、会員への名誉棄損を止めるように依頼しているとの認識なのだそうだ。

 そして、協会は、トカゲの尻尾を切って他人のことになったから知らないんだそうだ。

 たとえ金儲けが目的でも、メンタルに関する事業をしているところが、メンタルが弱って当時は動くこともできなかった私に悪事を働いたことは、真摯に受け止めて欲しい。

 

 しかし、都心の出身だと良い所の坊ちゃんとか、親が金を持っていると甘やかされて育ったとか、そういうステロティピカルな見方、いい加減に止めてくれないかね。