身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

命を削る力。

 Googleからの検索流入が減ったら、ほとんど誰も読まないBlogになってしまった。Twitterでも更新情報を流しているが、2日後のインプレッションが5、クリックスルーが1という有様。そもそも、ネットストーカーに狙われないよう、知る人ぞ知るというアティチュードで始めたのだから仕方がない。そうしたら、内容もスカスカになってしまった。

 さて、渾身の力で書こう書こうと思っても、その力が入らないのだ。アルバイトでモノカキ稼業をしていたときは、おぉ、やっとるねぇというコメントをたくさんいただいたので、まぁ、書くべきことはあるはずだ。それも、今のようにネットで調べたことだけで書くBlogとか1円ライターなどない時代の話だ。しかし、その畑を耕す力が入らない。

 そんな時、いつも思うのは、第一線で活躍しているスポーツ選手のことだ。実は、彼らを称賛する風潮を、私は怪しく思っている。なぜなら、彼らは「努力家」と評されることが多いからだ。別に、成績が良くなくても渾身の努力というのは大抵の人がしている。それは、すると楽しいことなので、なんで、好きなことをして(しかも順調に)賞賛されなければならないのだという気持ちが強い。

 こう思うのも、今の自分には力を発揮することができないからだ。書評家として活動していたこともあるが、今は、短編小説すら読むことができない。その腹立たしさと来たら。また、私の同級生で日本テニス協会の理事をしている人間がいるが、彼女は、体格という壁に阻まれて好成績を残せなかった。

 努力したくてもできない口惜しさ。努力をしたくてもできないということは、努力をして命を削るより何倍も苦しいものだ。寿命が半分になっても命を削る力というものがあったら、渇望する人は少なくないだろう。