身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

軽はずみに生きているのではない。

 ここのところ力が入らない。このBlogも、もう数ヶ月、誤字等、日本語自体が変で、あれ、瓜ヶ谷って、内容も文章も、こんなに下手な奴だっけ… と思うかもしれない。

 どうも、これはスランプとかいうところとは別の次元の出来事のようである。

 10連休中、1日、渋谷の行きつけの喫茶店にしか行かなかったので、今日は出掛けることにした。といっても、行くのは、また、行きつけの喫茶店

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 写真が趣味であるのを知っている店員さんは、今日はカメラをお持ちでないんですか? と言う。カメラどころではない、本を数冊、持っていったのだが、邪魔にしかならなかった。

 その中に鷺沢萠『さいはての二人』を入れていった。この作品については、以前のエントリーにもアップしてある。

 今日は、この主人公たちの不幸せさが、なにか身をもって感じられたので、再び読もうと思って持っていった。

 昨日、書いたように、私には家族もいない。家もない。恋人もいない。そんな人たちは、何を頼りに生きるのか。そんなことを考えたいと思った。

 しかし、私には同じ匂いがする人もなければ情熱を傾けるものもない。親には殴る蹴るされ家を放り出され、子供のときは物を書きたいと思っていたが、それさえ禁じられた。

 だから、理解してくれる人がいるんですとか、やりたいことがあるんですという人がいると、非常に眩しく感じられ、いいなぁ… と思ってしまう。

 昨日のエントリーで少し暴れたのも、そんな、やりたいことを禁じられたのに、遊びのような軽はずみなことをして上手くいかないから嘘を付くと書かれたからだ。私は軽はずみに生きることを何よりも忌み嫌う。

 何度も書いているが某民間カウンセリング協会は会長の悪評高い精神科医とともに地獄に落ちればいい。