身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

ピンと来ない。

 今日は通院。ファッショニスタ(私の主治医)は、靴は覚えていないが、珍しく、スリムフィットジーンズと、シルバーのケースに黒いバンドの時計だった。

 ファッショニスタは診察に時間を取るときと取らないときがあり、その理由が判らない。今日は前の患者にも時間を割いて、私にも時間を取ったのは、調子が良いのか。

 それどころでないのは、このBlogに書いているが、何かしなければという気持ちで苦しいというような話をした。

 何かしなくてはって、何かしたいというものがあるわけではないんでしょ? というので、書くこと、と答えると、そう訊かれたから言ってんじゃないの? 的な反応。

 しかし、父に対抗して(という言い方ではなかったが)何かしようというのが、"Passive Aggressive"というか自発的ではないという。

 しかし、と思う。父にやられたから向きになってやり返すのではなく、客観的に打ちのめさなければと思っている。越えなければならない壁というか。

 敵対心を持つことをアイデンティティーとして、何が悪いのかと思う。それだったら出世しようとかいうのだって同じ理由で幸福の追求ではないではないか。

 いい歳して親に拘るのはみっともないという声も他者から聞こえる。しかし、それは親からピュアな心を注いでもらった人が言うことだと思う。

 

P.S. 鷺沢萠『葉桜の日』を読んでいる。すでに数日かかっているのに読み終えていない。晩年の作品よりも、伏線などの張り方が巧妙だったり、技巧的な気がする。