身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

警察から窃盗容疑で出頭要請が来た。

 このエントリーの本文は、一夜明けた今日といっても、早朝、目が覚めてしまったときに書いたものだ。なので、書き直そうか迷ったのだが、せっかく書いたので、このままアップする。昨日のエントリーを書いたときは、疲れもあり、意味不明なことしか書けなかったので、情報を整理して考え直したものだ。とはいえ、普段は昼まで寝てしまう量の眠剤を服んでも夜中に目が覚めてしまったり、今も、疲れて横になると、船に揺られているような感じがして恐怖に襲われる。

 

以前の裁判から

 この1節目は次の本節の半日以上後、アップする直前に書いている。書いている文学作品を書き終える前に自由を奪われそうなので、どうせだから、それからエピソードをひとつ出す。本当は、1章「私の話」、2章「身の上話」というタイトルで、百数十枚にになる予定だった(両タイトルは、鷺沢萠佐藤正午両氏の作品から頂いた)。第1章は最初から書き始めており、現在は50枚ほど、第2章は、過去の雑多なものを再構成する予定で、ダンプしたものが150枚ほどある。

 さて、私が掛けられた最初の裁判で(私は2回、窃盗で裁判に掛けられて有罪の判決を受けている)、私の父が情状酌量のための証人(情状証人)として出廷した。

 情状証人とは、生活態度を説明し、それに対する自分の監督責任のあり方を説明し、情状酌量を求めるために出廷するものだが、検事(問い質す方)に、息子さんが自殺を図るまで追い詰められていたことを知っているのかと訊かれてヘラヘラ笑い、追い詰めるために、わざと借金を負わせているのだ、もっと苦しめばいいと証言し、裁判官に制止される始末だ。弁護士曰く異例に重い判決となった。父は、それ以外にも虚偽の証言をした。中には明らかに変なものもあり、裁判官に嘘は止めてくださいとも言われた。

 ゴロゴロして自炊も嫌で3食豪華な食事を買い、どこに行くのもタクシーを使うと証言された。私は心臓が針の筵の上で転がされているような苦しみで、親に借金を背負わされ、300円のコンビニ弁当を1日に1回食べるのがやっとだったのは既述の通りだ。家から1歩も出られず、週に1回の通院も死ぬ思いだった。肺炎で、内科医に、なぜ救急車を呼ばなかったのかと怒られたときでさえ、親が怖くてタクシーが使えず、バスで病院に行った。

 裁判での父の証言、そのバックグラウンドにある仕打ち、そして、心不全で救急搬送され髪が総白髪になったのを私を見ていながら、私は小学生並みの子供でゴロゴロしたいために心臓が痛いという言い訳をし、物を盗るのが悪いという観念がないという意見書を出した、父がお気に入りで変えさせてくれなかった当時の主治医…。これだけ書いてもキーボードを叩く手が止まらないし、無茶苦茶で文章になっていないのも自覚しているが、感情的にならざるを得ないし筆舌に尽くせない。

 そんな親だから、弁護士など付けようという気がなく、私の弁護士は国選弁護人となった。弁護士に親は呼ばないでくれと言ったのに、弁護士は、絶対に有利になるからと父を呼んだ。(これは、その次のときもそうだったから、あるいは事実なのかもしれない。)それでも弁護士は、依頼はしなかったが、被告人は高校を退学しながらも大検を取って進学し、前向きに生きていると言ってはくれた。弁護士は依頼する前に相談ができるので、相談して方針が合った弁護士を選ぶのがポイントだ。

(しかし、何よりも腹が立つのは、私に犯罪を犯すように仕向けた親の悪意である。)

 

昨日のエントリーについて(本文)

 昨日の意味不明なエントリー、実は、先週、物を盗ってしまい、警察から出頭要請が来た。カメラのサービスセンターで、展示してあったカメラストラップを盗ってしまったのだ。サービスセンターなので氏名や連絡先を書いていて、そんなところで物を盗れば捕まるのは目に見えている。目に見えているのを自覚しているのに盗ってしまい、慌てて主治医にも相談した。

 このBlogをお読みになっている方は御存じかと思うが、ここのところ、色々なことに煩わされている。加えて、母が、なんで来ないのだと頻繁に電話を架けてくる。そして、無理して行って倒れると勝手だと罵る。そんな中で警察から電話が架かってきて、落胆とか失望と言うより、むしろ感情がなくなった。なんか脱力し、例えば私はスプラッター映画とかが嫌いで、誉田哲也氏の「ストロベリーナイト」などは原作も駄目なのだが、今の私は殺人も怖くないだろうなと思った次第だ。

 逆に、感情がフラットになったことにより、対比として、いかに、今までがマイナスに引きずられていたのかというのが実感できた。私は、「悲惨な人生。」というエントリーから、ずっと、障害者は境遇に恵まれておらず、それよりはマシな環境である刑務所に入るために犯罪を犯すという山本譲司氏の論調(といっても腹が立って本を読むのを途中で放り投げたのだが)に憤慨してきた。私は実際に東京拘置所で受刑者を目にし、それを想像を絶するほど大変に過酷いうお前がお花畑なんだよ… と思っていた。それが、今回、やはり俺がいるところは悲惨なのか? と思ったりもした。

 しかし、と、また、今日になって再び思い直す。そのエントリーの後に考え直した「障害は犯罪の理由になるのか。」というエントリー。今日、それを読み返しながら、やっぱり自己正当化しちゃ甘いよな… と思ってネット見ていたら(というか自分のBlogの自動リンクから他人が同氏のことを書いたBlogのエントリーやレビューに飛んだ)、『獄窓記』という本の新潮文庫版432ページで、山本氏は、自ら「倨傲な性格」と書いているそうである。

 私は「障害者は可哀そうという視点というかアングル」と書いたが、同書のAmazonのレビューを、つらつらと眺めると、

「全面的にワタクシが悪うございました」と言いながら、「本当は俺は悪くないんだぜ?」という情報が散りばめられている本。

 

刑務所の体験記としてだけなら、☆4つでもいいんだけど、見え隠れする腹黒さと、あまりに不自然な四文字熟語の乱用で、マイナス1点といった感じ。

 

多くの人はこの本読んで、山本譲司は誠実な人間だ、と思ってしまうのだろうなあ。

Amazon『獄窓記』カスタマーレビュー「政治家らしい、ずるい書き方。」より)

と書いている人がいる。私のBlogを見て、いいぞいいぞ! と書いてくれている人がいたが、その感覚、私も味わいました。悪い論評なら何でもいいというのではなく、どうして、こう悪く思うのだろうという理由を説明してくれる文章との出会い。

 さすがに、これは、少し挑発的というかアイロニカルというか、簡単にいえば言いすぎだとは思うが、極めつけはこれである。

僕はこんなに四字熟語が使えるんだよ。僕はこんな難しい単語を知ってるんだよ。悪い事は知ってたけど皆やってるから僕もやったら僕だけ犯罪者になったんだ。僕は正しい人だから判決受け入れるよ。刑務所経験しても後は家族や仲間が助けてくれるからちょっと見てくるよ。僕はいつだって真っ直ぐ生きてるから、同じ事をしても罪に問われてない先輩政治家から捨てられたなんて思わない。だって苦しそうな声で謝ってくれたから。恨まない僕ってかっこいいでしょ。それに比べてマスコミはひどいよね。

 

ってとこまで読んでもうお腹いっぱい。刑務所の内部が分かると絶賛されてたからそこに興味があったが、もう飾り立てられた言葉と上っ面の正義感で語られると思うと読む気が失せる。
客観的に自分を見ている賢い私というスタイルらしいが、それに酔ってる事まで伝わってくる。これで騙される人が一定数居るんだからチョロい世の中だ。

Amazon『獄窓記』カスタマーレビュー「僕自慢でお腹いっぱい」より)

 しかし、両レビューとも、主張と結論が一致している。そして、自分が感じた不快感は、山本氏が描いた対象の障害者ではなく、読者を(読者“も”か)馬鹿にしているからだなと実感した。なかなか、その言葉だけポンといわれても実感というのは沸かない。

 そして、やっぱり、自分は、この人みたいに傲慢にはなれない。親がキチガイだから、周囲に変なのが多いから犯罪を犯しても仕方がないよねって、自分で言ってはいけないと思う。そして、自分は正義の人だから判決を受け入れるよというのも、ちょっと違う気がする。

 私は前々回の裁判で、3ヶ月、拘留された。堀江貴文氏が検察の反感を買って有罪になったと言っていたが、私の場合も、検事に、検察を舐める奴は一生入っていろと言われて拘留された(当然、親は保釈など求めない)。その次のとき、刑事に、どうして、あなたのような人が拘留されたのか判らない、しかも3ヶ月… と言われた。

 ちなみに、勾留通知には、理由は「検察を舐めたから」ではなく「証拠隠滅の恐れがあるため」と書かれていた。万引きで証拠隠滅だそうだ。経済力などがあったら、山本氏のように、素直な自分・偉い自分を作り上げて自己陶酔はせず、私は躊躇なく上訴や賠償請求を逆提訴する。(なお、検察は、この取り調べのときの調書を裁判には提出しなかった。)親も犯罪教唆で告発したい。それが無理なら、それとバーターとして減刑を要求する。

 ちなみに、今回、出頭要請が来たと弁護士をやっている中学校の同級生に伝えたら、すぐに出頭の意思を表明しないと逮捕状を請求されると言われた。同級生といっても学校の同級生ではなく、塾の同級生で隣の学校である。同じクラスの生徒に弁護士になった人物がいるくらいが、勉強ができたことの、せめての救いかもしれない。そして、出頭が1週間後と告げると、拘留されないなとホッとしてくれた。しかし、彼は素直で、毎度(という私の頻度も酷いが)私が謝ると、それを否定しない。

 親の迫害を受けていたとき、友達を見殺しにしたって言われると嫌だからといって、精神病で死ぬほど苦しいというのは判らないと言いながら、唯一、私に手を差し伸べてくれたのが彼であった。父が死んだとき、彼の留守番電話に何度か伝言を入れたが折り返しがなく、ついに愛想を尽かされたかと思ったが、背に腹は変えられないので、オフィスの電話に架けてみた。

 警察の、連絡してきたのは新宿署の刑事だが、実家に行く用事もあるのでと言うと実家はどこかと訊く。松戸だと言うと、署までどれくらい掛かるかと言うので2時間と答えたら、松戸から、そんなに掛かるわけがないだろう! 私は通勤にもっと掛かってるぞ! と語気を荒くされた。刑事は、私が馬鹿にしたと思っているようである。警察は暇ではないんだとも言われた。そんな、松戸のどこですかとも訊かない粗暴な刑事の取り調べを受けると思うと気が重い。

 法律家である弁護士の友人は、実刑は免れられないだろうと言う。前回も、弁護士に、刑は、段階的に重くなっていくと言われた。まったく、今までの弁護士は、である。弁護士の友人は、しかしなぁ、それより、どうしたら再発が防止できるか… と考え込んでしまった。検察側にしても弁護側にしても、目指すところは犯罪がない状態のようだ。

 シュリンクや、世話になっている前任の保健師さんは、私のストレスマネージメント能力に問題があると考えていると判断していると伝えるが、弁護士の友人は、それではないと考えているようだ。何回も取り調べを受けていて解るのだが、法律家というのは、理性的な人ばかりである。

(アップする直前に追記・先ほど、母のケアマネージャーさんと電話をしたが、やはり私が好んで犯罪を犯していると思われた。福祉を仕事にしている人でも、そうなのか。しかし、母と、死んだ父の担当でもあったケアマネージャーさんは、何かあると両親を擁護する。嘘を付くつもりはなかった、悪気がなかった。つもりがなく嘘を付いたり、悪気なく、倫理に悖るというより、大人になった私には犯罪だと断定できるような行為を行なうなら、そちらの方が問題だ。)

 ちなみにネット社会というのは怖いもので、私を舐めていると恫喝した検事の名前を検索すると、釈放された当時は、同様の所業が、沢山、出てきたのだが、今は個人サイトが1件しかヒットしない。Amazonのレビューも、上に挙げたものは、まだ悪いレビューが残っている方で、どんどん悪いレビューは削除される(なのであえて全文を引用した)。これは、本を売るためともいわれているが、よく判らない。

 ネットでは、他にも、悪事などは、どんどん削除されている。例えば、私に暴行を加えた高校の教師。校長になり部下の教師にも同様なことをしてパワハラで有罪判決を受けたのだが(これも、教師にしたことは罪に問われるのに生徒にしたことは表に出ないんだと思った)、それさえもマスメディアから記事が消えていて、それを引用した、これも個人のサイトが、1件、残っているだけである。最近、R25が、はあちゅう氏の記事を削除したことが話題になっているが、Yahoo! ニュースなんか、消すのが異様に早い。

 ただ、そういう情報は、検索エンジンに頼らないで「5ちゃんねる」の.datファイルの山を、ひとつひとつ発掘すると残っている(それらが検索エンジンに引っ掛からないのも不思議だが)。情報が検索エンジンで見つからないとき、5ちゃんねるで、探したい情報があるサーバーのファイルを、ひとつひとつ漁ってみることをお勧めする。

 

 

… しかし、今までは恐怖に襲われても乗り切ってやろうという気持ちが大きかったのだが、今回は人生を投げたいという気持ちの方が大きい。