身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

充実しない1日。

 朝から頭を悩ませているのが、何もできないということだ。どうしても起きられない。無理して起きるが、何もする気がしない。一昨日、労働時間は1日8時間、週5日というのが妥当などと書いておいて、午前9時に机に向かえていない。

 そして、無理して机に向かったところで、何もできないのだ。これも、私は、同じエントリーで、やる気さえあれば黙っていてもやるはずと書いている。まったく、自分が思っている通りに動けない。

 「理想」の反対語は「現実」… この言葉を習ったとき(おそらく小学生)、私は、なんか腑に落ちなかった。理想の反対語は現実よりも悪い事態ではないのかと思ったのだが、今になると、それが現実であることが、よく判る。

 言葉を習うといえば、“生存権”の定義「健康で文化的な最低限度の生活」ではないけれど、“健康”の「肉体的精神的かつ社会的に完全に良好な状態」という定義も、なんとなく理想である気がする。そう思うと、たしかに、現実とは、それとは対極にあるものかもしれない。

 これも何度も書いているが、他人を嫌いになっても付き合いを最低限にすればいいが、自分を嫌いになっても付き合いを止めるわけにいかない。ベストを尽くそうと思うが、そのときには、すでに、夜である。

 今日、読む予定だった本が机の横に2冊転がっている。そして、まだ観ていないTVドラマが2本。心臓が針の筵の上で転がされている感じがしたときの主治医に、TVを1日に5分も観られないというと、そんなものは観るなと吐き捨てるように言われた。

 本1冊を5分で読むことはできるかもしれないが、1時間のTVドラマを30分で観ることは、なかなか難しい。私が学生の頃、まだVTRはリニア編集だったのだが、ニュース番組などで10分のVTRを5分で編集するのを見て絶句した。

 まぁ、夜になって1日分のことをしようと思わずに、朝から普通に淡々と物事を熟せばいいのは判っている。判っている、けれどできない… なかなかのジレンマである。最近、このBlogの読者の方に、やってんね~ といわれていたのだが、ごめんなさい、やっぱり私はヒューマンダスト。