身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

精神科医にはクズが目に付く。

 私の精神科通院歴は35年を超えて、まぁ、主治医には恵まれていた方だと思う。幸い、日本の医療は、どこでも好きなところで受けれるので、嫌なら変えてしまえばいいだけの話だ。

 最初に掛ったのは高校時代、国立の国府台病院で、行ったその日に、親からすぐに離さなければいけないと言われて入院になった。大検は病院から受けに行っているので、この段階で、普通ではないといえば普通ではない(ちなみに1発で受かっている)。

 以前、書いたが、私の記憶は持たない。なので、この当時のことは20年くらい前まではクリアに覚えていたのだが、今は、ほとんど覚えていない。ただ、何かしようとすると注射で眠らされてしまい、消毒もせずに注射を打たれた尻が今でも夏になると化膿する。やたら東大と千葉大を出たことを誇る主治医だった。今は民間病院の客寄せパンダになっている。

 当時の国府台病院は、まだ畳の部屋が残っていて、普通に使える病室がなく、私は保護室を開放して使うというイレギュラーな使用法であった。前任のクズ医者が、当時の国府台病院は酷かったでしょう、今は、もう立派になって違う病院のようだよと言っていた。

 退院と同時に実家という帰る場所がなくなり麻布にある母親の実家に引っ越し、そこから専門学校に通った。通っていたクリニックは母親が探してきた。母親は、自分を悪く言う医者を「自分を悪者にする」と言って通わせなかったので、私が通いたい医者と親が通わせたい医者は(医者に限った話ではないが)常に反目しあっていた。それが、珍しく、あそこは通わない方が良いという話になった。

 クリニックの名を田町クリニックといい、主治医は高橋龍太郎といった。この人物に敬称を付けるつもりはない。当時の田町駅芝浦口は、駅前までバスが入るのがやっとで、狭い道の両側には小さな雑居ビルが立ち並んでいた。クリニックは、そんなビルの1つの3階にあり、幅50㎝くらいで2階を通らず3階まで直通の急な階段を上らないとクリニックには辿り着けない。今は立ち退きとなり、蒲田のタカハシクリニックで診ている。

 当時の高橋龍太郎はラジオでパーソナリティーをしていて、そんな有名な俺のことに来るのには、そんな道を通ってくるのは当たり前だろうという態度だった。診察室に入っても輸入中古車雑誌で買う車を物色していて患者の顔を見なかった。今になると、それが患者に草間彌生氏が来るようになり金を使う対象が美術品になったのだと思う。

 当時から金が好きな先生で、こちらが症状を訴えても、他の人は普通に生活しているだろう!と怒鳴って終わりだった。誰に診てもらっているんだとも言われた。そのくせ、帰ろうとすると受付にやってきて、よく見ろ! 病名を変えたから初診料を、もう1回、取っておけよ! と受付に怒鳴った。病名は、ほぼ2回に1回変わった。薬は服んでいたが、処方が正しかったのかどうかは判らない。

 この高橋龍太郎の名を、最近、とみに耳にする。周囲に彼の患者が多くて、不思議なことに、彼の患者は彼に心酔しているのだ。以下2つのエピソードは、あくまで聞いた話であり、裏は取っていないことを予め書いておく。

 彼って凄いんだよ、東京オペラシティで自分の草間彌生作品を中心とした美術品コレクションの展示会を2億円もかけてやったんだ…。私は、民間の美術展でコレクターが主催者というのは画廊と同じようなもので、持っている本人が所持品の価格を吊り上げてたいために行うものだと思っている。それに、開催に2億円かかるのなら、展示されたコレクションは、果たして幾らのものだったのだろうか。それを聞いて、私は、そうか、それで草間彌生氏と一緒に、よくTVに出ていたのか… と思った。

 ちなみに草間彌生氏は新宿区内のクリニックに転院したという情報を、これは医療関係者より聞いている。私が出版に絡んでいたときは作家の掛かっているメンタルクリニックの情報などが流れてきていたので、この手の情報は信憑性が高い。

 もう1件、高橋龍太郎について聞いた話は、今度は、「彼はスマートだよ」という言葉で始まった。当時、医療費にも困っていた俺に、障害基礎年金を受けさせるようにしてやるって言ってくれたんだ。そして、絶対に降りるような診断書を書くから、バックマージンが欲しいというんだけど、現金ではマズいから沿線に住む東急のギフトカードでくれと言うんだ、頭いいだろ…。私の感覚だと、普通に道義的に間違っています。

 さて、高橋龍太郎の元を離れた私は、公立病院なら間違いはなかろうと都立の広尾病院に通い始めた。そのときの先生の名は失念したが、私が復職して、日中、病院に通えなくなると、俺の後輩が開業したから、そっちに通ってみないかと言われた。

 それが、恩田クリニックの恩田禎先生だ。当時は自覚がなかったが、後で色々な精神科医に聞くと、どうも名医だったようである。ただ、今になって恩田クリニックのことを検索すると薬漬けという評判が少なからず出てきて、そういえばベゲタミンBもリタリンも服んでいた。今になって思うと、これらの薬を同時に処方するというのは、どうかと思う。

 彼の特徴は、患者と医者でも腹を割って対等に話すことだったと思う。私の進路の話になると、物理がやりたいから京大に行ったんだけど、じゃんけんで負けて研究室に入れなくて、それで医者になろうと思って医科歯科大に入った、そうと判っていたら最初から東大に入っていたなどと言う。

 他の患者が言っていて、得てして妙だと思ったのは、彼がしているのは診察じゃなくて人生相談だよな… というものだった。私に独り暮らしをさせて両親には金以外出させないという仕掛けを作ったのは彼だった。親は史上最低のヤブ医者と言っていたが、後に彼の治療法を否定したのは、私がクズ医者と呼ぶ今の前任の主治医だけだ。

 そうこうしているうちに、恩田先生は肝臓癌が再発してリンパ腫で亡くなってしまった。自分でも今回は治ると思ったのだろうが、結局は亡くなってしまって、それに伴って私も大変な目に遭った。詳しくは、こちらのエントリーから。

circumstances.hatenablog.com

 

 この人は名前を出していいのか迷うところである。この私立の精神病院は名前を出してしまうと根岸病院といい、そのときの医師が恵比寿で開業していているのだが、根岸病院は非常勤となっている。当時、他の患者が自分のクリックを持っているらしいよとは言っていたのだが、Googleで検索しても出てこなくて(当然Googleマップに載っていない)、あるサーチエンジンで、やっとホームページが出てくる。医師会の名簿を確認しようと思ったが、ページが工事中になっている。

 今、ホームページで、流行の生やし方で髭を生やし、Tシャツを着て犬を抱いてニッコリと微笑んでいる、その医師は、当時、男性向けファッション雑誌や、よく、ラジオのトーク番組、AVANTIに出ていた。ラジオでは一応は精神科医と紹介を受けていたのだが、話題は非常にナンパであった。ファッション雑誌の方はアメリカのビンテージカジュアルだった。

 さて、恩田先生が亡くなって、カルテの最初と最後のページだけコピーしたものに、それを紹介状の代わりにしてくれという紙を持たされただけで、私は、どこに通っていいのか判らなかった。目黒駅前メンタルクリニックに転院する患者が多かったが、経営者が高橋龍太郎だというので止めた。

 そして、恩田先生が入院のときに頼る、広尾病院の新谷昌宏先生に掛かることにした。恩田先生は只のオジサンと言っていたが、薬が余っていてるので予約の日だと忘れていたら、今日は、どうして来ないの? と電話を架けてきてくれたりして、医者としてというより人間として立派な人だった(まだご存命だが)。

 しかし、立派な人で高齢である。60歳で、同じ都立の精神科専門病院・松沢病院の副院長に栄転されてしまった。あれ? 定年ではないのですか? と訊いたら、医者の定年は65歳なんだって、と気さくに答えてくれた。その人柄は、松沢病院の、このページでも窺うことができるだろう。ちなみに松沢病院で定年を迎えられ、引退なさったとのことである。

www.byouin.metro.tokyo.lg.jp

 

 その後の主治医が私がクズ医者と呼ぶ医師である。この人は、統合失調症など、脳の変性による病気の人には非常に良い(治療が有効な)人であるらしい。ただ、主治医が自分に変わったら、今までの先生方の治療は間違えていますと言われ、薬を、ほとんど切られた。よほど名前を出そうと思ったが、今月、開業したてなそうなので、様子を見る。

 何度も書くが、心臓が針の筵の上で転がされている感じがして起きていられず、夜も、少しウトウトすると心臓がグサッと刺される感覚で寝ていられなくなった。半年で総白髪になり、周りの人間を驚かせたのだが、後にセカンドどころかサード・フォースくらいのオピニオンを聞くようになると、彼は人間として未熟だから、ということで、どうも、それには気が付かなかったのだろう。

 シャワーが浴びられないと言うと、社会人は次の日があるから嫌でも浴びるんですなどと言われ、私だってサラリーマンだったんだから、それくらい判りますよと言うと、またまた、そういうことを、と、言う。最初はアルバイトから始めて勤められるようになるんですよと、まるで私がサラリーマンだったというのは嘘だというような言い方である。どうして、そんなことを言うのですかと訊くと、だって病名がパーソナリティ障害だもの、と言う。なぜパーソナリティ障害だというのですかと言うと、今までの先生が、そういったからという答えにならない答え。

 この辺のことは、時間がないので、引用するエントリーを読んでいただきたい。なお、登場するネットストーカーは、5年たった今でも、相変わらず、付きまといを止めず、弁護士沙汰にしてみろというので弁護士に内容証明郵便を送らせたら受け取り拒否をされた。後に、それが不利になると考えない人間である。

 また、資格ビジネスで心理カウンセラーの資格を買ったのだが、その団体に私へのストーカー行為をしていることがバレて(というか私が相談したのだが)私への嫌がらせを止めないと資格を剥奪すると言ったら資格を剥奪されて結構と言ったという。ちなみに、その団体はEAPメンタルヘルスカウンセリング協会という。

circumstances.hatenablog.com

 

 そして、転院をしようと思い、とりあえず恩田先生・新谷先生・クズ医者の出身校である東京医科歯科大学附属病院に行った。1人で電車も乗れず、区の職員に付き合ってもらった。東京医科歯科大では車地暁生という新人や後進の指導に当たっている先生で、初診は研修医など10人近くを従えて、例えばEメールでも相談に乗りましょうと親身な風を装っていた。しかし、再診に行ったときは、周囲には誰も居らず、クズ医者とは医科歯科大病院で一緒に仕事をした仲なので、その人の患者を取るわけにいかないと診察を拒否された。

 私は近所のクリニックというクリニックに電話をした。住所を見ると家のすぐ前に白金メンタルクリニックというところがあり、そこはフォームから問い合わせができたので問い合わせてみたら、データを送った1時間後にはヒステリックな女性から、直ぐに来いと電話があった。他院に通院中なので紹介状を貰って… と言うと、そんなの、どうでもいい! と言われた。自立支援医療制度を利用していることも、どうでもいいと言われた。ちなみに、そういう名の別の医療機関があるのに「白金クリニック」と名乗っていた。

 品川駅前に、みゆきクリニックというところがあったので電話をしてみたら、自立支援医療も使えますし診ますよとのことだったが、ただし、サプリメント代が月に8万円かかりますと言われた。今、ネットを見るとタダと書いている人もいるし2万円と言われた、値段を聞いたら逆に幾らだと思いますと言われたという人がいたが(足元を見ている?)、私は、まるで「金八萬円也」という請求書を突き付けられた気がした。

 その後、電話をしたのは、麻布十番の、さいとうクリニックだった。受診希望と言っただけで、医者に取り次がず、受付に、無理ですねと言われた。ホームページに診察案内が出ていますよねと言ったら、他の医者に診られないものがウチに診られるわけないでしょうと言う。斎藤學という先生が色々と… と言ったら、遮って、うちは普通の町医者ですよと言われた。ちなみに、「普通の町医者」がホームページが謳っている肩書は下記のとおり。

  • 医療法人社団學風会さいとうクリニック理事長
  • 家族機能研究所代表
  • 日本家族と子どもセラピスト学会会長
  • 日本嗜癖行動学会理事長、同学会誌「アディクションと家族」編集主幹
  • PIAS麻布コレクティヴ・スペース会長
  • 日本トラウマ・サバイバーズ・ユニオン理事長
  • EAPメンタルヘルスカウンセリング協会会長
  • 日本子どもの虐待防止学会名誉会員
  • アライアント国際大学CSPP臨床心理大学院東京サテライトキャンパス名誉教授
  • AKK(アディクションを考える会)理事長
  • NABA(日本アノレキシア・ブリミア協会)理事長

 またEAPメンタルヘルスカウンセリング協会が出てきた時点で怪しいのだが、次のクリニックで、とりあえず話を聞きましょうと言われ、クズ医者に紹介状を貰って自立支援医療制度の書き換えもしてクリニックに行った。

 まぁ、一見すると驚く先生だった。ダランとしたローゲージニットのセーターに喜平のネックレスをして、男なのにレースの靴下を履いている。区の人に話をしたら、区の行事にも奇抜な格好をしていらっしゃることがありますが、熱心な先生ですよと言われた。まぁ、熱心さでいえば、前のクズ医者も熱心な先生ではあるそうだ。

 後に通うようになったら、背広を着ているときはネクタイも落ち着いた色のものをしているし、時計も、それを嵌めたまま演壇に立てるようなものをしているので、おそらく本人の趣味なのだろうと思うが、最近は普通の格好をしているので逆に楽しみが減った。

 初診で、自分の見立てと治療方針などを伝えられ、そういう治療で良いのなら診ますよと言われた。いや、これだけ立派な治療方針を立てられたのは初めてで、お願いすることにした。ちょっと気になったのは、恩田先生との出会いがあっただけで悲惨な人生ではなかったと言われたこと。このBlogで「悲惨な人生」という言葉が膾炙するのは、ここに所以する。

 しかし、恩田先生など、おそらく死んで20年近くになると思うのだが知っていて驚いた。なかなか勉強が好きな先生で、診察のとき、私の病気について調べたことと自分の捉え方を説明してくれる。論文を書いている気配がないが、ひょっとして診察より研究の方が好きではないかとさえ思う。

 今の主治医とは相性は100%良いわけではないし、区の精神障害者自立支援センターの職員に、辛辣なことを言われているようだから医者を変えたらと言われるのだが、まぁ、辛辣と言っても理にかなっているので、そのつもりはない。

 恩田先生・新谷先生・クズ医者・今の主治医と、医術は別として人の道にもとらないような人たちが多いだけに、我利我利亡者が目に付く業界である。

 

P.S. 今の主治医の名前を出さないのは他人に教えないで自分の秘密にしておきたいだけです。詳しく知りたい人はEメールください。