身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

氷解して手紙を書いた。

 ある都市銀行からの案内に、この預金は誰、この預金は誰というふうに名義変更ができると書いてあった。他の銀行からの案内には、解約した上に相続人に振り込むという案内しか来なかった。いちばん最初に、それが来れば良かった。考えてみたら遺産分割協議書も、そう書く見本があったから、あるいは常識なので他の銀行は書いていなかったのかもしれない。

 母が、私のために預金をしていたのに! と罵っていたので、そういう分け方があるそうだから、私のために預金していたという分だけ私が貰うというのはどうだろうと提案すると、それでいいの? ということになった。私が遺産をブン取る気だというのは、叔父が母の寵愛を受けるために、母の妄想の火に油を注いでいたのだろう。

 以下の手紙は、10月13日と同じ、私の主治医に宛てたもの。

 

謹啓

 木曜日は、お電話で、ありがとうございました。電話をしたら母の後ろで実家に入り浸りの叔父が「有にはビタ1文やるな!」とけしかけていて、頭がおかしいうえに堅気でない叔父と母、2人を相手にしなければならないと思うと、本当に口が回らなくなるほど気が重くなりました。叔父は、私には、母にきちんと分けるように言うと言っていたのです。大学進学のとき、私には親に大学に行かせると言っていたのに、親には私は机に向かってボーッとしている、大学には行かせるなと言っていたのと同じ図式です。

 実家に行くと、叔父は私と対峙するのが嫌なのでしょう、私の顔を見るなり逃げ出しました。新橋で飲んでから来た上に、家で、ウィスキーなど1万円ほど買ったそうです。ほとんど空になったウィスキーの瓶が1本、ありました。私が母に何か買ってやると金を使うなと言うのに、母は、叔父がビール買ってくれた、叔父は私と違って優しいと言います。叔父は月に3万円で生活していて、お前と違って倹しいとも言っていましたが、これだけで取っても矛盾があります。

 そして、ゴネる母から、やっとの思いで銀行の相続届に判を貰いました。それを持って地元の地方銀行に行ったら、よく専門家を使わず1人で、これだけの書類を揃えましたねと言われました。まだ書類が来ていない数行分の書類に判を貰わなければならないと思うと気が重かったです。それからも、夜、夕食時に世間話になるまで、嫌な空気が流れていましたが、夕食は、談笑とまではいかないまでも、ある程度は普通に話ができました。

 金曜日は母の通院に同行しました。私に酒を付き合えと言っていたくらいなので、叔父ともかなり飲んだのでしょう、血液検査の結果はGOT 295、GPT 481、γ-GTP 757になっていました。当然、医者に酒を止められ、母が、飲みたい付き合えと言っても、先生にも言われていますし、当然、私も飲みませんでした。

 帰ったら、書類が来ていなかった銀行からの書類が来ていました。その銀行は、口座を解約せずに名義だけ変更できる旨が書いてありました。それで、相続は、現金化をせずに、口座ごとに分配できると知った次第です。眠れないのでインターネットで遺産分配協議書(遺産をどのように分けるかを決めたという書類)のフォームを見たら、やはり口座ごとに相続する人を決めるような様式になっていました。

 自分で動かず税理士に頼めば、そういうことは知っていたのでしょうが、自分で手続きを始めてしまって、各銀行の預金を折半するような手続きを取ってしまったので、とりあえず金が分配されて私と母に入るのは仕方がないとして、相続の時点で、この口座の金は誰というようにしようと思いました。母が、どこかの口座の金は、私のために貯金をしていたと言っていたので、自分の中で、それだけ貰えればいいということにしました。

 母は夜遅くまで起きているので、午前2時過ぎになりましたが、母に電話をしたら、私が「遺産をブン取るために、わざわざ不要な相続の手続きをして嬉々として動いている」というのは違うということを納得してくれました。  午後2時過ぎまで起きていたので、はなはだ寝不足ではありますが、とりあえず、ひと段落ついて、気分は正常に戻りました。お騒がせいたしました。

敬具

 

2018年11月10日