身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

優しさは巡るもの。

 今日も松戸の実家に行かなければならないので、このエントリーはあらかじめ書いておいたものである。

 昨日から恐怖はなくなったものの、薬の副作用なのか情緒不安定というか朦朧としている。昨晩のエントリーも、自分で読んでいて、何かなぁという気がする。

 さて、最近、メルカリで不要なものを売っている。色々と事情があって部屋に物が溢れているのだ。

 そしてスマートフォンの急速充電器をを売ったのだが、ほぼ未使用だし問題がない商品だと思った。そうしたら、買い手から故障が見つかったと連絡があった。

 売り手として責任を感じる。返金対応をしようとしたら、レシートを送ってくれという。それでメーカーに保証を求めてくれるという。

 私は、本当に申し訳ない気持ちで謝った。そうしたら「メーカーが悪いんです、瓜ヶ谷さんは悪くありません、責任を感じないでください」と有難い言葉をいただいた。

 

 かつて、ヤフオク! で、カメラレンズを買ったことがある。45,000円だったが、美品と謳われていたのにレンズ内に取り除けないほどの黴が充満していた。

 売り手に連絡すると、とにかく現状を確認したいから写真を送ってくれといわれ、なかなか撮るのが難しいレンズ内部の写真を撮って送った。

 そうしたら、ノークレームノーリターンと謳っていますよねと居直られた。この経緯は、かつてのエントリーで書いた。

 簡単に書くと、法律的には売り手に問題があり、裁判を起こせば必ず勝つと法テラスより回答があった。

 結果、採算が合わないので、そのレンズは、不良品であることを明記して30,000円で売った。15,000円の赤字だ。

 

 今回は、返送料と返金で赤字になるかなと思ったのだが、それどころか、自分で解決してくれるという。それだけ手間を掛けさせた売り手である私に温かい言葉までかけてくれるとは。

 友人に、人間は性善説性悪説、どっちに従って生きているのだろうとFacebookに投稿している人がいる。

 私は、今回の買い手の方は性善説に従って生きていると思う。そして、自分も、そうなりたいと思う。

 善意は巡るというと、情けは人の為ならずのような、何か綺麗ごとをいっているように感じるが、今回は綺麗ごとではなく、自分も、そうありたいなと思った。