身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

Stolen Leica M6TTTL S/N 2758010・Leica Summilux Bayonet/M39 S/N 3868560

イカに関する嫌な思い出

f:id:minato_serenade:20200803195523j:plain

 

 あえて<H1>タグを二重に使い、最初の<H1>タグにカメラとレンズのシリアルナンバーを入れた。ライカカメラの顧客名簿に載っているのは私の名前であり、私は誰にもカメラを譲渡していない。今日は精神状態が悪いときには高いカメラは持ち歩かないという教訓である。

 時は2002年、私は30歳だった。精神病で勤めていたニコンをクビになり、新しいカメラを買って旅行に出た。会社を辞めたことだし人生に2度とない30歳だしと思ってライカを買った。ボディもLeicaのロゴが入ったもの、レンズも日本向けにMバヨネットマウントのものをM39(ライカスクリュー)マウントに仕立て直したもの、ともに限定品を買った。

 まさかクビになるとは思わず、その年のゴールデンウィークに北陸を旅行する予定でチケットを取っていたのだが、病気の養生を兼ねてと思って行くことにした。

f:id:minato_serenade:20200803215557j:plain

 

 精神状態が悪かったのには色々な要因があるが、両親が私の名前で株の取り引きをしていたのも大きな原因だ。実業界を転々としている私には、株で大損したというのは好ましからぬというより死活問題にかかわる情報である。

 確か野村證券だったと記憶している、私は証券会社に、その取り引きは無権代理行為であって私は追認しないと通告したら、担当営業マンに親が子供のことを思って株の売買をするのは当たり前だろと逆切れされた。

 そんなトラブルを抱えて私は富山空港行きの飛行機に乗った。当時はSNS以前にインターネットというものも栄えていなかったので、知己の知己に会いに富山に行った。夜は氷見の永芳閣という高級旅館に泊まった。私が泊まった後に倒産して今は大きなホテルチェーンに入っているが、当時の永芳閣は、独りで来るようなところではない超高級旅館だった。常に専任の仲居が付いた。

 私は富山駅から氷見駅まで行くのに、北陸本線と間違えて高山本線に乗ってしまった。まさか本線と名が付く路線が同じ駅から2つも出ているとは思わず、本線というだけで北陸本線だと思って飛び乗り、1両編成で郵便スペースがあるという不自然さが頭に入ってきたのは発車してからである。

 私は次の長森駅で飛び降りたが、下車前途無効の乗車券なので改札を出ることができず、たった4㎞を戻る電車(電化はしていたと思う)を数時間も待たなくてはならなかった。よほど線路の上を歩こうかと思った。

 当時は新幹線など通ってはいなかったものの、それでも電車でも飛行機より2・3時間遅れで富山駅に行くことができた。品川駅で遭った人と長森駅から富山駅に引き返す電車で一緒になったが、ロマンスが始まるどころか会話も交わさなかったことでも私の精神状態の悪さが受け取れる。

 氷見で1泊し、小松へ行った。小松では小松グランドホテルに泊まった。今はアパホテル小松グランドになっているが、当時はアパホテルの名物女社長の夫が経営する姉妹ホテルで、アパホテルほど廉価ではないホテルだった。

 夜はブニヤ・デ・モカという感じのいいビストロで飲んだ。小松空港で働く日通航空の社員一行がいて、私を担当していた社員を知っているとかで内輪の話で盛り上がった。小松グランドホテルに泊まっていると言ったら憐れんで大好きなスコッチのシングルモルトを奢ってくれた。この旅行で唯一の楽しい思い出かもしれない。

 翌日はどうしようと思って店の女の子に相談したら、前日から久谷茶碗まつりをやっているからと勧められて久谷に行った。アクシデントが起こったのは帰りのことである。

 私が育ったのは千葉県のいわゆるチバラキエリアなので笠間の陶炎祭に行ったことがあるが、歴史があるためか作品の質が違う。茶碗まつりで焼き物を大量に買い込んだ私は(それでも友人宅には大量に送り付けていた)寺井駅で電車を待っていた。

 私のPHSが鳴ったのは、そのときである。先日電話をした証券会社の担当営業マンの上司からだった。部下から報告は受けた、大蔵省にも届け出て適切に処理をしたのでマスコミに言わないでくれというものだった。これは、文字通り私に「してくれ」という命令で、謝罪の一言もなく、しかも私に怒っていた。

 なんだ、この電話は… と釈然としないままベンチにある焼き物を抱えて電車に乗って、たしか小松駅でレンタカーを借りたのだと思う。そのとき荷物を整理していて、初めてカメラがないことに気が付いた。

 荷物の中を何度探しても見付からず(首から掛けていたので奥に入れたはずもないのだが)小松空港に直行して空港内の交番に被害届を出した。盗まれたのは寺井警察署の管内なので小松警察署から移管になったことなど、寺井警察署の刑事課の警察官から何度か電話を貰った。

 その日は、どこも行く気がせず、父に電話をしたのか何か、松井秀喜資料館と安宅関の跡に行った。安宅関跡で安宅住吉神社の、まだ二十歳そこそこの巫女が、勧進帳の一節を観光客に呻ってくれて、なかなか面白かったのだが、どう面白かったのかまでは記憶にない。

 精神病も悪化したためか、そんなことをすっかり忘れて2年が経ち、2004年2月25日のことである。自宅に、寺井警察署の~という電話が架かってきた。私は寺井警察署と言われてもピンと来なかった。精神状態が悪くて、そんな大変なことも忘却の彼方にあった。

 警察官は、いきなり申し訳ないと言った。容疑者は見付かったが、盗んだという確証が取れず占有離脱物横領でしか罪に問えなかったと言う。申し訳ないも何も犯罪を犯していない人を犯罪者にしてしまう方が問題である。私としてはカメラが戻ってくればどうでもいい、そういう話をした。

 ところが、である。容疑者はカメラを使うことなく東京のカメラ屋に売ってしまったとのことである。この辺が金儲けで悪質だと思うから盗んだということを立証したかったという。そして、問題の東京のカメラ屋について聞くと、名前は出せないが、接触をしたところ、デパートの催事で売ってしまったという。なので、所有者が見付かっても買い戻すことにあると思うとのことだった。

 デパートの催事というだけで出店しているカメラ屋は、おおよそ見当が付くが、シリアルナンバーから所有者が判るカメラ店が盗品をシラを切って売ってしまう方が問題であり、許すことができない。そういう要望書を提出した上申書に付けて送った。確かに受理してカメラ屋を指導しますと連絡を貰った。

 それから写真を撮る気がなくなり、セットで買ったズミクロン35㎜も売った。11万円にしかならなかった。今はほとんど神格化しているライカのレンズであるが、ズミルックスとともに、買った当時、私も、なんだ、このボケ玉はと思ったので、妥当な値段だと思った。

 まさか、こんなに早くデジタルの時代が来るとは思わず、ライカの販売が日本シイベルヘグナーからライカカメラに移管になるときに買ったM6TTLのボディは残してあったのだが、それも先日、売った。これは12万円だった(未使用・未開封)。

 ちなみに、今、これを書くために引っ張り出した被害届の控えを見ると、ボディは30万円、レンズは20万円で購入している。保証書は購入日を誕生日に合わせてバックデートしてあるので、実際は3ヶ月も手元になかったことになる。そして、カメラよりも何よりも、小松の長寿庵で写した建物の内部や文人墨客の資料の写真が無くなったのが、何よりも悲しい。