身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

キチガイの息子。

 今日も通院だった。主治医に最近の母の話をしたら「お母さんは重傷だね…」と言われた。先日の、区の職員からも、辛いことを訊いて申し訳ないけどと言われながら同様なことを訊かれたが、私としては、これは思い出さないよりも、逆に表現に訴えなければいけないと思っている。

 例えば、成人式のとき。私は招待状を心待ちにしていたのに来なかった。これも母親が捨てていたのであるが。そして、成人式当日も、自室に閉じ込められて水も与えられない日常が続いていた。それなのに平然と「いい成人式だったんですって」などと言う。

 すでに書いたが、小学校のとき「お前のカァちゃんキチガイ」と虐められた。しかし、キチガイと揶揄する人はいても、「虚言癖」とか「親が子供にそんなことをするはずがない」と言われて誰も救ってはくれなかった。

 最近になって思うようになった。これはフィクションでもノンフィクションでもいい。そのようなことが起きないように書かなければならない。東野圭吾さんの『手紙』のように、罪人でなくても罪の重さを書くことができる。そんな風に書きたい。

手紙 (文春文庫)

手紙 (文春文庫)

 

 

 

P.S. こちらは生き返りました。フレッツ光が入っているのにプロバイダー契約がない私の実家って、やっぱり変だ。f:id:urigayatsu:20181101184439p:plain
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