身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

住まば都。

 私の生涯、いいことなんてなかったな… などと思うのは、もう幕引きしたいからだ。
 父が死んで5日、まだ松戸の実家にいるが、居心地が悪い。以前のエントリーに書いたように親が私のことを嫌いというのが大きいのだが、それに派生した色々な嫌な思いというのがある。
 私は子供のとき、灼熱の部屋に閉じ込められて水も与えてもらえず、熱中症で頻繁に倒れたことはすでに書いた。そして倒れて救急搬送され、点滴で回復すると、ヤワだといって殴る蹴るされた。
 親は、そういう人間だと括っても、問題は近所である。どうやら私はグレて家にいられなくなったと思われているらしい。近所の人が私を悪く言っていることが嫌でも耳に入る。
 実際のところは、親に殴られて、それを振りほどいただけでも親は家庭内暴力だといって警察を呼び、警察官は親の言うことだけを聞いて私の言うことを信じず私を殴った。
 都内に引っ越して、警視庁の警察官にこの話をしたら、警察官が人を殴ったということにショックを受けていた。そして、警視庁は違います、信用してくださいと言われた。
 千葉県警も、親の安否が判らず警察に安否確認を求めたりすると可及的速やかに実家に行って確認してくれたりはするのだが、父が死にぎわに拾おうとしたタクシーに乗車拒否をされたときのことだ。
 交番の前だったので警察官に言ったのだが、スマートフォンで検索してタクシー呼んだらいいんじゃないですか? と言われた。内容もそうだが、話し方が「~じゃないですか?」である。
 私の親の言うことだけを一方的に聞き、私が言うことをガキンチョの言うことだからと一蹴したり、親の死に目に、いいんじゃないですか? と切り捨てる千葉県警。都内に住んでいると警察が過干渉だという人もいるが、私には事件を未然に防ごうとしているように思える。
 頑張っているのだけど力及ばずと思えることもある。今日は親の住民票と所得証明を取りに松戸市役所の支所に来た。私が住む東京都港区役所とは違い、担当者がセクションごとに分かれていない。
 それでも事務が滞りなく、というか港区役所より早かったのだが、1人の職員が、すべてのことに精通していなくてはならない。担当者に回すも何も、担当者がいないので、訊くことができるのは先輩職員だけである。記入台には印鑑拭きどころか朱肉もない。(もっとも支所だからであろうが。)
 無論、港区役所の方が優れているとはいえない。ここのところのドタバタで、書いたのかどうか忘れてしまったのだが、港区の私の担当保健師に相談をしたら、松戸にいるんだから松戸市役所に相談したらどうですか? と言われた。
 俺は生まれたときから港区民だぞと思い保健所に相談したら、健康の相談ということではなく経済的な相談ということで保健師ではなくケースワーカーに相談してくださいと、ケースワーカーを紹介してくれた。
 こういったメリット・デメリットを秤にかけると、やはり経済が潤っている都心の方が社会保障が充実している。コミュニティバスの経路数や本数も違う。運賃も、松戸市の値段は知らないが、東京都港区・渋谷区は100円であるのに対し、埼玉県狭山市では路線バスの倍以上するということだ。
 住めば都という言葉があるが、そもそも、この言葉自体、都が住みやすいという前提の言葉ではないか。住んだところが都ではなく、私にとっては住むのなら都である。もちろん、これも、人里離れたところがいいという人もいるだろうし、そうなると前提から崩れるけどね。

P.S. 慣れないせいか、スマートフォンでBlogを書くのに苦労しております。昨日は月末だったので良かったものの通信制限も掛かりました。最善を尽くしていますが、不備があったら、ご容赦ください。