身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

僕が実家に向かう理由。

 実は、このエントリーは8月18日の夜に書いている。アップされる8月19日は実家に行こうと思っているから、帰れなかったときのためだ。

 これを書いている18日現在、両親への腹立ちというのは収まっていない。かつて、私が助けを求めて電話を架けても、関係ないと言って電話をガチャ切りした両親。

 それが、自分たちが弱ってくると、もっとマメに電話して来いと言う。そっちから架けてくればいいじゃないかと思う。

 今、事前連絡もなく、半ば嫌がらせのように押し掛けてやろうかと思っている。それでも、行きに東横のれん街の舟和に寄って、好きだったあんこ玉を買って行ってやろうと思っているのだから自分に呆れる。

 「家族だから」という言葉で締め付けようとするのが両親なら、言葉ではない家族の温もりを求めているのが私だ。兄弟も従兄弟もいない私には、両親しかいないのだ。

 また、両親は、私が地元の友人と付き合うことを嫌がっている。自分たちが悪く言われる自覚があるからだろう。それが何か知らないのに、Facebookも止めろと言っている。なので私には友人もいない。

 好きなことをするのには理由がないが、明治神宮前から地下鉄1本・1時間の旅に出るのには理由がある。ここでインサート。小沢健二「ぼくらが旅に出る理由。」


小沢健二「ぼくらが旅に出る理由」

 

  ビデオの解像度がSDなのだけど、そんなに古い曲だったっけ? と思ったら、小沢健二さん、今年50歳だそうだ。私の頭の中の小沢健二さんは、このビデオの中のまま止まっている。

 私は、他人を愛することを止めてしまって久しい。結婚しなかったのも自分の選択だ。友人もいない。なので、そんなに両親にも期待していない。

 しょせん金づる… と思えば、ゴマすり程度に思っておけばいいのかもしれない。しかし、それでは済ませられない私がいる。