身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

硬派なものが読まれる時代ではない。

 このBlogのフロントページには継続日数を表示してあるが、明日で365日になる。午前様になり実質は翌日になってしまったものもあるが、毎日、更新していることになる。

 始めた初月は運営報告などもしてみたのだが、このBlogの趣旨にそぐわない感じがして止めた。このBlogは多くの人に読んでもらおうというものではないからだ。

 私は、かつてプロのライターと編集者をしていたことがある。なので「読まれる文章」を書くのには、少し長けている。"Tokyo Sight Seeners' Guide"などは、若干、その要素を取り入れたものだ。

 しかし、もう、そういうことにウンザリしてしまった。今はプロのブロガーと呼ばれる人たちが沢山いる。それなのに私が継続的に読むのは、Blogでも儲けるためでないものや、新聞や雑誌などのオンライン版の記事が多いからだ。

 幻冬舎見城徹社長は、かつて、角川春樹体制の角川書店で大ベストセラーを量産する編集者だった。私は人間的に嫌いなので著書は読んでいないのだが、彼が朱を入れた原稿を見たことがある。真っ赤だった。

 そこから見えるものは、見城さんの作品を良くしたいという思いだ。幻冬舎というのは、スタートしたときは、そういう思いが詰まった出版社だった。新興出版社に、あれだけの作家が付いてきたというのは、彼の仕事ぶり、彼の思いに賛同したからだと思う。

 メディアで見城さんが「良いものを作れば売れる」と常々いっていたことを思い出す(「野生時代」のデスクだったのに文芸誌を出していなかったことで、私は懐疑的だったが)。それが、経営危機に陥り、売れるということを重要視するようになった。

 幻冬舎の本を1冊も買ったことがない私がいうのも何だが、売れる本に舵を切ってからの執筆陣を見ると、芥川賞選出出版社ではないから致し方がない面があるにしても、いわゆる「軟派」な作家ばかりで食指が動く作家がいない。

 そして今日、某娯楽サイトのメールマガジンを見て、「硬派」なものが読まれる時代はないのかもしれないな… というのを実感した。私は1シーズンに2本の連続TVドラマを観ているのだが、今シーズンは「チア☆ダン」と「健康で文化的な最低限度の生活」だ。

 「チア☆ダン」は純粋な青春もので、名前の知らない大勢の女の子と阿川佐和子さんが出てくるのが嫌なのだが(阿川さんについては物を書いて欲しいからです、念のため)ストーリーは置いておいて各エピソードが巧くて、気分が少し青春になれるのが好きだ。

 問題は「健康で文化的な最低限度の生活」である。今回、娯楽系のメールマガジンで視聴率低迷にあえいでいるという記事があり、その考察も載っていた。視聴率を見ると、素人目には、スポンサーが離れないで放送が打ち切られない最低限度の数字なのではないかと思ってしまう。(元記事が見付かりました。)

 

 記事中に「演技派の吉岡が完璧に演じると、『マジメすぎて周りが見えない』『ただおもしろくもない正論ばかりを主張する』と女性をイラッとさせてしまうようです。」ともあるが、公式サイトでも主演の吉岡里帆さんが「日本のいまの状況に目を背けないことが大事かなと思います。」と意気込んでいる。

 私も、かつて「疲れた人たちが求めているものは正論でも叱咤激励でもない。それは、気持ちが一休みできる、優しい言葉だ。」と書いた。会社から疲れて帰ってきた人々は正論なんて欲していないだろう。

 しかし、と思うのだ。全力疾走してきた人が休まざるをえなくなったとき、または正論とまではいかないけれど生き方を考えたいと思ったとき、我々は何を観たり読んだりすればいいのだろう?

  硬派な映画は子供でも解るアニメーションばかりになってしまった。硬派な文学は、インテリだけのものとして、登山におけるエベレストのように高いところに行ってしまった。

 そんなとき、ちょっとタブレットスマートフォン、仕事中に休んでいるときにPCで見るWebサイトのひとつとして、このBlogが存在していればいいなと思っている。今の固定読者は50人ほど、もう少し、そういう人にリーチしてもいいなとは思うけど。