身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

本を選ぶ基準。

 もう、硬派でもなければ文学でもないダダ崩れのBlogになりつつあり、なかなか、毎日、書くというのは難しい。なのでNHKの朝の連続テレビ小説など凄いなと思う。新聞なども、ただ単に政府や企業の発表の羅列にしか思えないものもあり、ネタ切れか論説能力がないのだろうなと思う。

 かつて、Wikipediaに私の本名で項目が作られたことがあり(名誉棄損で削除を依頼)そこでの私の肩書に書評家とあった。そして、このBlogにも書評、あるいはTVドラマ評でも載せておけば良かったと思うが、TVドラマは、もう時すでに遅し。

 書評でも書くかと思って、実際に、辻村深月さんの本を数冊、用意してある。しかし読みやすいのに不思議と集中できない。鷺沢萠さんのときのように、没頭するということはない。

 大人が子供に向かって、大人になると忙しくなるから本は子供のときに読んでおけと言うが、気忙しさという意味では忙しいのかもしれないが、本を読む時間がないからではなく、他に考えることがあるから集中できないというのが正直なところだろう。

 1冊も読めていないのに新たな本に手を出すのはどうかと思うが、先日、来年の手帳と日記帳を買いに書店に行ったとき、文芸書のコーナーを覗いてみた。そこは文芸書に力を入れていない書店らしく、平棚には何の脈絡もなく各社の新刊書が並んでいるだけだ。

 そうなると、どうやって本を選んで良いのやら。面白そうな筆者の本でも読めないのだから、筆者で選ぶという選択方法は消える。文学賞の受賞作という選び方もあるが、その書店には受賞作品の一覧がない。直木賞受賞作品や新潮文庫の100冊などの選書一覧もない。ベストセラーも書いていない。出版社の営業も来ていないのではないかとさえ思う。

 こうなると、せっかく書店に来てもAmazonのようなオンライン書店で本を選んだ方が選びやすい気がする。また、書誌情報を入手するのも、読んでいる新聞の書評欄がクズなので、だいたい、オンラインのメディアだ。他人のBlogなどで紹介されている面白い本をAmazonウィッシュリストなどに記録してある。

 ここでのポイントは、感性が自分と全く同じ人が紹介する本を選ばないこと。この前、パーソナライズされた広告では、むしろ選択肢が狭くなると書いたが、同じ理由だ。最近、この「はてなブログ」で文芸書の紹介を参考にさせていただいているものを2つ挙げて、今日は終わる。

www.yu-hanami.com

 

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