身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

カリカリするな。

 例によって、あるドトールコーヒーに入った。レジで数人が列をなしていて、私は最後尾だった。私は暇(というほどでもないが)なので、ぼんやりと待っていた。

 レジで注文を受けている店員は、奥(厨房とはいわないよね?)に、数人、店員がいるのに、自分で飲み物を取りに行ったりして慌ただしい。

 そして、前に並んでいた客が、電子マネーでの決済を希望して、店員が、判りました、はい、どーぞ、と、カードリーダーを指さしたのに決済画面が出ない。

 その客から、かなり刺々(トゲトゲ)しい空気が出ていて私も突き刺さった。そして、私が会計したときも、言わなかったけど店員にミスがあった。

 レジの店員が悪いのか他の店員が悪いのかは知らないが、私は、あぁ、いわゆるテンパっている状態なんだろうなと思った。

 私も精神障害があるから、自分が病気で立ち行かなかったときのことを思い出すと責める気はしない。

 ちなみに、私の病気が酷かったとき、どんな状態だったかというと、かつて、伝票の振り分けができなかったと書いたが、そんなものは一例に過ぎない。

 栄養指導で言われて摂取カロリーを付けていたのだけど、カロリーではなく値段を付けていたり、求人の応募で履歴書を送るところを家計簿を送ってしまったりした(書類ではなくコンピューターのファイルだった)。

 そんな状態で働けるわけがないのだけど、当時は家族と不仲どころか、わざと足を引っ張られていたので(「身の上話」カテゴリーの話として改めて書きますね)病気でも自力で稼がなければならなかった。

 まぁ、そんなことがあったので、なにか、その店員の緊張感には病的なものを感じた。

 また、私の後ろに並んでいる人はいないのにミスをするということは、緊張の原因が時間的要因以外にあるということだ。

 私は買ったものを持って席に着いた。そこは、前にいた刺々しい空気の客の隣だった。私は、そのオーラに気が付かないふりをしていた。

 そうしたら、いきなり、その刺々しい空気の客がキレた。食器を空にしてバン!と下膳口に叩きつけ、スタスタと出ていった。店の滞在時間、3分未満。

 そうしたら、先ほどの店員は、ますます緊張して、さらに大きなミスをしたようだった。ガミガミというよりガンガンと、くどいくらいに文句を付けられている。

 こういうことを書くと、そういう職業や性別・年齢に対する先入観だと煩い奴がいるので書かなかったのだけど、もう、書きます。

 先ほどの刺々しいオーラの女性は若い主婦、今度は初老から老齢に差し掛かる主婦軍団(いわゆるオバサン軍団)だ。

 いっとき、プロファイリングなるものが流行ったが、対人関係の寛容性がない=外で仕事をしていない≒主婦、そのなかでも、腹立ちを物に当たる=若い、腹立ちを相手に向ける=年配、ということになる。

 さらに書くと、私が若い主婦と踏んでいる女性は、ハイヒールにタイトなワンピースという余所行きの格好だった。

 しかし、なんで、小説で余所行きの格好をした若い主婦が何々したと書くのはOKで、こういう文章で何々している若い主婦という表現はNGなのだ。

 これも、さらに書くと、自分のことを書かれているわけでもないし私が読めと強要しているわけでもないし、さらに誰かを誹謗中傷しているわけでもないのに、なんでケチを付けられなくてはいけないのだ。

 話は本題に戻るが、だんだんとクレームが大きくなり、それに従って、ますますレジにいた店員のミスは大きくなるというスパイラルに入ったのだった。

 それが気が気でない自分もいるが、冷静に見て、雰囲気に呑まれるって、そういうことなんだろうなと思った。

 こっちは、トゲトゲ女(もう表現に配慮しいものね)が食器を叩きつけようが平気の平左(普段使わない語彙なので調べたら、「平気の平左」って「平気の平左衛門」の略なのね)なのだが、トゲトゲ女にとっては私の余裕も面白くない。

 物に当たるということは、他人に当たっていないようであるが、実は他人に与える影響も考えての行動だと思う。

 トゲトゲ女の怒りというのは、ミスをする店員だけではなく、それに動じない私にも向いていて、両者に対するアピールとして食器バン! なのだと思う。

 単に腹が立っているだけでなく、そのことを他者に伝えたい。極論をいえば自分の怒りに巻き込みたいのだ。

 そうして、怒りに対する怒りというか、腹立たしさというか、畏怖というか、それでミスとクレームのスパイラルが広がっていくように思える。

 少なくとも店員のミスを止めたいという点では、みんなの意見は一致していると思う。しかし、それが、食器バン! になり、面と向かって怒鳴りつける(といっても過言でないほどの責め方だった)になり…。

 それを見ると、エネルギーは、怒る方ではなく、自分が鷹揚に構えることに向けた方が良いんじゃないかと思う。

 北風と太陽になんて例えられてもピンと来ないが、目の前のコイツを黙らせるには、怒った方がいいのか宥(なだ)めた方がいいのか、だと理解できる。

 途中で病的と書いたが、寒がっている人ではなく病人に例えて、無理させるのと休ませるのと、どっちがいいですか? と言われたほうが、まだ納得ができる。

 イソップ童話は文学作品としては面白いのかもしれないけど、私ごときの脳ミソでは、ドトールに連れて行かれて短気は損気と言われた方が教訓になる気がする。