身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

仕方がない。

 しばらく、ロクなものが書けていない。じっくり読んでくれる固定読者がいたのだが、すでにいない。ブックマーク代わりに「身の上話」で検索してくれる人もいたのだが、今はGoogleの検索結果に全く表示されないようだ。

 何度か書いているが、私の信条は「駄目なら駄目なりに頑張る」だ。私が精神病を発症したのは高校のときだ。高校教師からのイジメで高校にも行けなくなり、退学した。しかし、大検を取って進学した。

 私が通っていた高校は進学校で、私より成績が悪い生徒が東大に入っていたりする。というより、根性で何とかしようという高校だったので、むしろ成績が悪い生徒の方が東大には多く入っていた。

 自分の言葉で語るより適切な言葉があるので、私のバイブルと呼べる篠田節子先生の『マエストロ』から下記に引用する。長いので、このエントリーも、それに目を通さなくても続くように書きます。

 早期教育の必要性と有効性の叫ばれた時代だった。多くの者が、幼い頃から完璧な訓練を積めば、だれでもスタープレイヤーになれると錯覚していた。少なくとも自分は、自分の子供だけは、そうなれると信じていた。

 事実、瑞恵の通った音楽教室は、多くの楽才を生み出した。しかしその何十倍、何百倍もの敗者を出したことは意外に知られていない。子供らしい遊びも知らず、時には家庭不和までも引き起こしながら、厳しい訓練に耐えた子供たちが、ある者は、思春期を迎えたあたりから伸びが止まって凡庸になっていった。ある者は完璧な技巧を持ちながら、応用力がまったくなかった。そして多くの者が、音楽に対する情熱を失っていた。

 

 書き写すのに必死になって、何がいいたいのか自分でも曖昧になってしまったが、しょせん私が通っていた高校がやっていることは訓練だった。現に暗記だけで東大に入った同級生たちは落ちこぼれて行った。

 他方、私は大検を取り、英語の専門学校に入学した。高校時代の英語の偏差値は40にも満たなかったが、私は専門学校を良い成績で卒業し、TOEICの成績も良かった。何より勉強が楽しく、朝から晩まで机に向かった。

 私は専門学校で英語を身に着け、大学で文学を学ぶつもりでいた。私が通っていた専門学校の単位は大学互換で、大学の3年時に編入できた。大学に編入できたら進学してもいいと親の約束も取り付けていた。

 しかし、きちんと大学に合格したのに、親は大学に行かせてくれなかった。私は嬉々として机に向かって充実した学習生活を送っていたのを、親は、勉強とは嫌いなものに決まっているから机に向かってボーットしているに違いないと決めつけた。

 そういえば、こちらは勉強に忙しいのに、やたらアルバイトをして遊べと煩かった。それが学生生活を謳歌することだというのだ。私は聞き流して勉強に勤しんでいたが、そんなところで足を引っ張られるとは思ってもみなかった。

 私は就職活動をする暇も惜しんで勉強していたので、ロクな就職先はなかった。そして、就職した先は、今でいうブラック企業だった。安い労働力は、毎日が残業の連続だった。

 ここでまた、親が出てきた。会社が新入社員に残業をさせるはずがない、毎日、夜遊びして帰りが遅くなるのだと言うのだ。終電がなくなってタクシー帰りだったのだが、それさえも、酒に酔って電車で帰るのが面倒なんだと言われた。

 そして、遊んでいるのだからと、専業主婦と同等の家事をさせられた。会社の残業は月に250時間に及び、寝る暇がなかった。会社でもタイプを打つ仕事だったので、手は腱鞘炎で手術となった。

 そして、私は精神病を再発した。思い詰めて鎌倉に死にに行ったのは、このときのことだ。高校を辞めて実家を追い出され、私は叔父の家で生活していたが、そこも追い出された。

 このときに成績証明書が出てきて、親が、お前は、こんなに成績が良かったのかと驚いたことを特筆しておく。勉強は嫌いなものに決まっているとか、会社は新入社員に残業をさせるはずがないとか、自分たちの貧しい想像力でしか測れないのだ。

 それから、私は病気と闘いながらも、歯を食いしばって努力している。東大に入ったって、東大生という肩書は、たかだか数年のものだ。彼らは未だに東大卒ということにこだわっているが、なんか、よほど今が充実してないのかなと思う。

 人間、惰性で生きずに努力していれば充実した人生が送れるはずだ。それは、その人に才能があろうとなかろうと関係がない。その実力をフルに発揮できてこそ、人は活き活きとするのではないか。

 そう思っていても、これだけ結果が出ないと、ものすごく不安になる。そのせいか、また今日も、汗をビッショリかき、肩がパンパンに張って目が覚めた。そんな中、このエントリーを書き始めたのだがブラウザーの不具合で消えてしまった。

 このエントリーのタイトルは、そのときに付けたもの。努力をしないで諦めたのなら悔いが残るが、全力を尽くしたのなら、運命のような気もする。あるいは、あまりに報われないので、そう私が信じたいのかもしれない。

 

P.S. 今朝、ネットニュースで、もっと大変なところに置かれている人を見て、私なんか、まだまだ甘いなと思った。しかし、よほど気弱になっていたのか、他人の不幸を喜んでいるようで嫌だなと思った。Faceookで吐き出したら、友達に否定された。本当、SNSには励まされています。