身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

今日は忙しく過ごした。

 一睡もできず体力を温存すべきかどうか考えたが渋谷に行った。さすがに前髪を引っ張ると唇まで来るので散髪をしなければいかんと思った次第。しかし、床屋が開いてるのか開いていないのか、まぁ、開いていなかったらいなかったで喫茶店の滞在時間を増やせばいい。

 学習塾の近所の交差点で他の学習塾のパンフレットを配っていた。「中学受験をお考えの保護者様へ」とある。しかし私(50歳)に子供がいたら、もう中学受験は終わっているよね。しかも、受験のための塾ではなく学習塾に入るための算数塾。批判を書くので塾名は伏せた。

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 対象が「偏差値40台から抜け出せない」である。合格実績・SAPIX8名、四谷大塚5名、早稲田アカデミー2名。私は小学校5年生のとき、何の準備もなく四谷大塚を付き合いで受けたが、普通にお茶の水教室に受かったぞ。

 しかし、驚くのが月謝である。入塾金55,000円+オープニング特典・月謝99,000円…。月謝だけで私の生活費2ヶ月分ぐらいある。苦手な勉強を、そこまでして無理強いするなんて拷問だよ。そして合格した中学校の実績の堂々中央に、私が特待生として通っていた高校の、新しくできた悪名高き中等部が載っている。

 大金を払ってまで苦手なものを強制しようとする親の教育方針を疑う。私なんか子供のときは勉強しかしてこなかったに近いが、サッカー教室なんて金を払ってもらっても行かないものね(昔も今も考えが変わらないので現在形)。

 このパンフレット、家に帰ってきて読んだら地味に凄い。「苦手の種類によって異なるアプローチカリキュラムを作成」って、苦手の種類は「算数」でしょ。例として「図形が苦手」と「文章題が苦手」というのがあるが、図形はジャンルと分類できるだろうが文章題は違うし、なんか変な気がする。分数も図形も数題(解が数字の問題)なら解けるんだけど… とかいう生徒、いるのかな。それは算数ではなく国語の問題。

 さらに驚いたのが授業時間。対面・60分2コマ/週、オンライン・30分2コマ/週とある。これって、4教科の時間数じゃないんだ…。嫌いなものを、そんな長時間やったら、ますます苦手になってしまう。キャッチフレーズに「算数嫌いも最短2ヶ月で算数偏差値アップ」とあるのだが、目指すところが違う。偏差値アップではなく好きになるところがゴールだろう。

 寓居の周りでは4億円するタワーマンションが飛ぶように売れているという。そして、数年前、SAPIXができたのだが(私が無知で日能研系列かと思ったら代ゼミ系列なのね)本当に溢れんばかりの生徒数であるし、それだけ生徒数が多いということは、皆、普通に入っているということである。

 私が四谷大塚を受けたとき、付き合ってほしいと言ってきた同級生は落ちたが、それでも中学から明大明治に受かっている。別に、塾のための塾に行って、再度、四谷大塚にチャレンジするということはなかった。まぁ、中学から明大明治に行かせる親はどうかという話はあるが(という観点から、私が行っていた高校の中等部に入れる親というのは、どうかを通り越して問題人である)。

 

 塾のための塾のパンフレットが驚きの連続だったので脱線してしまった。渋谷では床屋が開いていて、無事に散髪。ここで床屋のビル内から見た通りを行く人の写真をInstagramにアップしているが、トリミングの大きさを変えたものを2枚アップした。

 昨日の判断力低下が回復している自信がないのだ。今見ると、一瞬にしてセレクトできるのに、だ。そしてロフトに文房具(消耗品)の買い出しに行き、喫茶店へ。昨日に続いてWi-Fiルーター代わりに格安SIMを持ってきたのだが、遅いどころか繋がらない。

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 家のPCなら30分でできる処理を、何時間かければいいんだと思い、読書に逃避。おかげで捗った。こちらも、私が勝手に頼りにしている山姥さんのBlogでの紹介から、鷺沢萠著「帰れぬ人びと」をチョイス。講談社学芸文庫版を持って行ったが、解説が面白くないので、文庫版を買うときは文春文庫版をお勧めする。

www.yamauba.work

 

 しかし、読み直して、こんなに鷺沢萠本人がいうように村松友視の影響が強いというのは、初めて読んだときには気が付かなかった。故郷云々は同郷(東京)なので当たり前のように読んでしまったが*1、何か大事件が起きそうで起きない感じが村松的である。そして、この後、私小説へ向かう片鱗が見える。

 私は村松友視の私小説も好きであり、雑誌で絶賛したこともある。そして、確実に村松友視と違う才能がある点は、描写の豊かさと話の落としどころである。描写も骨太で無駄がない。上記Blogエントリーで山姥さんが「読み応え」と書いているのは、この辺ではないか。この小説を読むことで、今後、自分が書くものの方向性を再確認した気がする。

 さて、外出先でできなかったクラウド上のデータの整理でもします。昨日は頓服のニューレプチルでヘロヘロというより良く判らない変な気分だったのだが、対照的に、ここまで充実した1日が過ごせるとは思わなかった。

*1:面白くないと書いた講談社文芸文庫の解説に「こうした土地感覚は、都会生まれ、育ちの"東京人"にとっては常識的な物だろう。」とある。その田舎者感覚が、この解説で嫌である。