身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

「聡い」は作れる。

 勉強の話である。私は小学校時代、勉強が好きだった。好きすぎて自主的に四谷大塚お茶の水校舎に通った。今は市販しているらしいが、教材は秘伝の書であった。

 さて、先日、あるところで小学生に算数を教えている親を見た。分数を教えていたのだが、そのなかで通分について教えていた。

 分母について、「1/2と1/3を足すとき、2と3の積は6でしょ!」と教えていて(最小公倍数とか言いかねない…)理由は教えない。

 これなんか簡単に丸を書いて1/2と1/3に線を引いてやればいい。それを積み重ねて、1/2と1/3の両方を表現できるのは1/6でしょうと。

 私は、通分を習ったとき、勝手にそういう理論を考え出して友人に流布したら「聡い」と言われた。それは四谷大塚で習った、単に教わり方の問題である。

 分数を習うのは小学校低学年だったと思う。それでは鶴亀算というのは、どうやって教えるのかと思うと、小学生にして方程式を教えてしまうそうだ。

 実際、私はクズ高校といえど高校に首席で合格したのだが、入学したらいきなり二次関数の問題が出て面食らった。そして、成績が悪い生徒が平気で解いていることも。

 東大東大と煩い高校だったが、私の学年で初めて東大理Ⅲに現役で合格する生徒が出た。それが、なんと成績がビリの生徒であった。

 結局、その生徒は大学では応用力が全くなく落ちこぼれていった。今年に至っては東大合格者がゼロである。私はこの高校を自主退学したことを誇りに思っている。

 先日、メカニズムという便利な言葉を思い出したというようなことを書いたが、メカニズムを知らずして、解の意味など何物であろうか。

 勉強が面白くない、それはすなわちメカニズムが判ることの喜びを知らないのだろうと思う。メカニズムを知ることで子供は聡くなる。