身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

泣けない非常識。

 いきなり夏バテした。夏バテの瞬間、というのは50年近く生きてきて、初めて自覚したかもしれない。早朝、暑ぃな… と思って目が覚めたのだが、汗をかかず火照っている。それからエアコンを入れて二度寝したけれど、そのときから変だ。

 さて、散髪に行った。前回、行きつけの床屋(美容院じゃねぇよ)に行ったら休みだった。コロナ感染症予防に伴う営業自粛が明けても休みだったので、主人がコロナ感染症に罹ったのかと思った。

 今回は電話で確認を入れてから行ったのだが、なんか声がガラガラである。夏風邪でも引いたのか… と思うが、実際に会って話しても酷い。どうしたんですか? と訊いたら手術したという。この人は何度も直腸癌を再発しているので転移したのかと思った。

 いや、移転じゃないんだけど… と言われてホッとしている自分がいた。進行が遅いものなので放っておいて大丈夫ですよと言われていたが、コロナ感染症でいつ手術ができなくなるか判らないから入院して手術するように言われたという。私が前回、来たときは、入院・手術していたようだ。

 私は他人の大事を大したことがないと捉える向きがある。一昨年、父が死んだとき、前日に心肺停止で救急搬送されるとき、まったく心配などしなかった。端的にいうと舌打ちをした。面倒かけやがって…。

 父が死んだ日、私は東京に取って返してクリニックを受診した。主治医は、今まで父は悪影響ばかり与えていたので、人生が好転すると思うと言った。

 猛勉強して大学に首席で受かって、入学手続きまでしたのに「勉強なんて嫌いなものに決まっているから机に向かってボーッとしていたに違いない」と土壇場になって学費を払わず、就職活動もできずにブラック企業に就職した。成人式に出さず私を監禁して、かといって平気で「いい成人式だったそうだ」と言う。

 そんなことばかりされていれば殺意こそ感じても死んだところで悲しくもなんともない。実際、どうして、あと30年早く死んでくれなかったのかと思った。中学か高校で死んでくれれば進学を拒むどころか全寮制の学校に行くなという人間もいないし、留学を止める人間もいない。

 中学の同級生は、私が過保護にされていたために我がまま放題に育ったと言う。そのために、例えば葬式などのTPOをわきまえないという。それは昭和4年生まれの分際で小学校から私立に行っている父に言ってほしい。

 葬式で泣くというのは常識でするものだろうか。少なくとも私は父が死んだときに悲しくもなかったし泣きたいとも思わなかった。そして、床屋の主人の癌が転移でないと知ったとき、コロナ禍のときに大変だと思う以上にコロナ感染症に罹患してなくてホッとした。それを非常識と言うのなら言えと思う。