身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

Happy Holidays!

 個人的には、明日の冬至の方がメインイベントなのだが、最近になり、掲題の手の葉書が来る。そうすると、あぁ、クリスマスなんだな… と思う。そして聞こえてくるのは除夜の鐘だ。これはクリスマスがあってもなくても同じこと。

 忘れられないクリスマスの思い出というものはない。子供のときからクリスマスプレゼントなど貰ったことはない。私は生まれ月が1月なので、それと合併したかと思うが、誕生日プレゼントというのも記憶にない。

 クリスマスプレゼントもなければクリスマスケーキもない家だった。ただ、クリスマスケーキはないものの、普通のケーキは出た。あまり子供らしい娯楽というのは縁なく育った。

 しかし、記憶にないだけで、クリスマスプレゼントを貰っていたようではある。母に言わせると、私は結構、歳が行くまでサンタクロースを信じていて、学校で同級生にサンタはいないと言われて納得して帰ってきたと言う。

 しかし、来年は50歳である。まさか自分が半世紀も生き延びようとは思ってもいなかった。そして、人生というのは歳を取るごとに辛くなっていく。Twitterの方でリツィートしたが、年齢というのは1年間のうちの体調が良い日の百分率だそうである。私は、この考えを支持する。

 私は持病があるので、もっと多いが、体調が良い日は1年の半分と考えると、あながち間違っていないような気がする。そして、10代のころを考えると、確かに10%程度だった気がする。

 文明が進化して、健康寿命が延びるのなら良いが、不健康で寿命ばかり延びても困りものである。聞いた話なので信憑性は定かではないが、ヨーロッパでは寝たきりの老人というのは数が少なく、それはつまり、無駄な延命をしないからだという。

 確かに、例えば「胃瘻(いろう)」なんてものは、私は西欧の文化で初めて知ったのだが、臓器提供と同じように、するかしないかの選択権は自分が持つものと聞いた。しかし、これを、区の精神障害者自立支援センターの所長に話すと、いや、普通にするものでしょうと言う。

 この所長がすなわち日本の代表だとは言わないが、胃瘻とは何か知っている人でも、認識というのは、この程度なのだ。私としては食べる楽しみがない食など、考えただけでゾッとする。そんなにしてまで長生きしたいとは思わない。

 今の主治医に掛かったとき、健康に生きられるまで80歳、残りの30年を有意義なものにして幸福に人生を終えてくださいと言われた。私としても幸せなら80歳まで生きれば御の字である。今のままなら60歳でいい。

 私の父は89歳で死んだが、90歳まで生きたがっていたそうである。何の苦労もない人だった。長生きを望める人は、ある意味、今が幸福なのかもしれない。

 

 

P.S. 今日は表向きで出てきたケーキ。

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