身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

常識と習慣。

 正月2日になり、やっと年が明けた気がする。昨晩、新しい日記帳に日記をつけ始めて、あぁ、令和で行くと3年なんだなぁと初めて知った。なんか、令和は元年から元号での数え方がおかしい。

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 さて、正月といえば初詣である。訪問看護師に母から距離を取って喫茶店に行ってくださいと言われる。しかし、喫茶店は、最寄りといっても歩いて20分以上かかる北小金駅ドトールしかなく、駅まで行った。

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 年の初めに冒険をしようと「タピオカ黒糖ミルク」なるものを頼んでみる。黒糖って粉っぽいのかなと思いきや、ミルクと混ざってミルクセーキのような味になって美味しかった。

 ドトールで外を見ていると、駅とは反対の方向に向かって人が歩いていく。手には破魔矢などが下げられていて、そういえば、この先に名刹と呼ばれる寺があるのを思い出す。駅の反対側にも名刹と呼ばれる寺があり、破魔矢の類を下げている人は、そちらに先に行ったのだろう。

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 ここは元々、水戸徳川家のお狩場だったところで、ここ以外にも松戸には徳川家由来の何それが沢山ある。仁王像がある立派な山門がある。山門の裏には狛犬? があり、それって神社にあるものではないの? と思う。

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 寺といえば昨年、門前仲町かどこかで友人と寺と神社に参拝したとき、柏手を打つのが神社だよね? と言われた。私も二礼なんちゃらを知ったのは最近のことだし、それは単なる慣習だと思っている。

 寺社仏閣とは関係がないが、昨年、係累が1人、亡くなって、我が家にもご先祖様が祀られることになった。そこで、朝、起きたら仏様に供え物をして線香を上げて… と言われて、あぁ、これが映画などでよく見る、学校へ急ぐ高校生が仏壇の前で手を合わせてから行くように親に言われているやつかと思う。

 これらの習慣がないので知らない人たちを、多くはないが常識がないと言う人がいる。元号で何年か知らないの? 神社で柏手を打つの知らないの? 仏壇に何をするのか知らないの? これらのことを知らないのは非常識なのだろうか。

 あるとき、干支を全部言えないのは非常識と言った人に、逆に睦月から師走まで言える?と訊いたら言えないという。JanuaryからDecemberまでも言えないという。むしろ、古典や英文を読んでいて、干支を全部言えるより重要ではないかと思う。

 そういう、慣習に近いものを知らなくても非常識ではないと思っている私であるが、唯一、これは常識に近いものとして身に付けておきたかったというものがある。私は「いただきます」をするときに両手を合わせない。大人になって外国人に触れるようになったら、これは、海外で日本人か否かを見極める重要なポイントであると言われたからだ。