身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

ディレクトリ。

 ディレクトリといっても人の名前や住所が並んでいるアレではなく、コンピューターのファイルを入れておくフォルダーの話である。

 私が最初に使ったPCのOSはMS-DOS (PC DOS)だった。今のようにマウスを使って操作などできないCGIの時代で、キーボードからパス(通り道)を入力して移動する。さらに指定してあるパス上にあるファイルしか実行ができなかった。

 OSのファイル以外、当時は皆、ファイルを入れる場所がまちまちで、階層を浅くしてパスが短い方が良いとか、大量にフォルダー(ディレクトリ)が並ぶ方が、むしろ判りにくいのではないかなどという議論まで起きた。

 それが統一されたのはWindows 95ではなかったか。ユーザーの名前は、なぜか単に"user"ではなく、"Documents and Settings"というフォルダーに作られた。しかし、"Pictures"とか"Documents"などのフォルダーが作られたのは、このころだと思う。

 そんな長いフォルダー名を入力するのは大変である。Windows10のようにアドレスバーにそれらの日本語訳のようなパスが出てきて、クリックするとフルパスが出て来たのも、このころのような気がする。

 私はWindows 95/98の次はWindows 7を通り越してWindows 8を使ったのだが、少しは改良されたと思ったディレクトリ名が退化したのは、ユーザー名である。アドミンのユーザー名がオンラインのアカウント名と同じ名前しか付けられないのだ。なんか2バイト文字だった記憶がある。

 しかしこれも抜け道があって、オンラインのアカウントからオフラインのアカウントを作り、権限をそちらに移譲してしまえばいい。それで何とか乗り切ったものの、なんとなく面倒なOSだった記憶がある。

 今、Windows 10マシンを使いながら、あぁ、なんて自由にPCが使えるのだろうと思っている。ただ、Machintoshは、マウスのボタンを離すとメニューが閉じてしまうものまでしか使ったことがない。当時、拡張子を付けないとか、(日本語変換がなしでは使えない)2バイトのファイル名を付けるなどで、Macユーザーは蔑まれていたのを覚えている。

 ちなみに、私のPCには、DOSの時代から使い続けているアルファベット数文字のフォルダーが、まだ存在する。バックアップのMOなどがあるのだが、読めるハードウェアがない。