身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

バックグラウンドを考えずに人間性を評価する人。

 私には家族・係累がいない。一応、血縁の者としては87歳になる母がいて松戸に住んでいる。一昨年かな? に父が死んで、月に1回、面倒を見に行くのが苦痛である。何回忌とか、そんなものは知らない。悔やむ気持ちもない。松戸での越年を思うと今から気が重い。

 そもそも、私は、今の医者に「キチガイ家族の被害者」と言われて、得てして妙だなと思う。自分が家族を持たなかったのは、そういう家族が嫌いというより、そういう家族に足を引っ張られて家族を持つ余裕がなかったというところだろう。

 新卒で入った会社では社員全体に履歴書や成績証明書が回覧されており、先輩に「嫌でもモテたでしょう」と言われた。正直、モテて嫌だった。それがモテなくなったのは、いわゆる「スペック」に問題がないのなら、人間として難アリということになる。

 精神的余裕がなかったとはいえ、酷いことを言ったな… ということはある。それも今になって思うのであって、こちらは悔いても覆水は盆に返らない。そして、それらは「スペック」にも反映された。60㎏だった体重はストレスが溜まる仕事で半年で120㎏になった。

 身体・精神が持たなくなって勤めを辞め10年以上が経つ。それでも最初は無理をして家で色々なことをしていたのだが、精神的に余裕がないばかりに、変なものに付け込まれたりした。

 そして、親に嫌がらせのために作られ、変なのに付け込まれて金を失ってできた借金を完済して数年が経つ。衣食足りてではないが、無理して働かなくなり、最近、再び高評価が戻ってきている。しかし、昔からの友人には、人間としての根本に何ら変わりはないのにねと言われる。

 結局、環境が人間を作るのではなく、環境によって表に出てくる部分が違うだけで、根本は何も変わらないのだ。それで他人が離れていくのは、自分が悪いからではなく、しょせん、その程度でしか人間性を見られない人間だということだ。その程度の家族なら、いない方が潔くていいと思っている。