身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

赤いアウディの思い出。

 以前書いたが、高校の国語の教科書にも載っているという鷺沢萠著『指』という古い作品に、「赤いアウディ」が出てきたので、その立ち位置について書こうと思う。

 高校の教材を見ると「外国車」「高級車」と括られていて、なぜもっと高い車があるのに「赤い」「アウディ」である必要があるのか、おそらく理解されていない。

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 時はバブルである。ある雑誌の言葉だと「ブイブイ言わせる車」がもてはやされた。価格が4桁(万円)・左ハンドルが基準とされた。

 他方、同年代の友人が先日、当時、車検の代車で借りたが、右ハンドルだし作りもドイツ車らしくないし、国産車ではなくこの車を選ぶ意味が判らなかったという。

 大きさも5ナンバーサイズで、ドイツ車でありながら「外国車」「高級車」に必要とされる要素は何も持っていないというのが、この車の特徴だろう。

 「赤いアウディ」が出てくる他の作品を書き出そうとしたのだが、あまりに多くて諦めた。「赤」というのも重厚さを否定する要素である。

  さて、私の体験である。体験を書いたのちに少し解説を入れようかと思ったが、なんか蛇足になるような感じがするので止める。

 『指』をお読みいただくと、文章力は雲泥の差だが、そのイメージが、あまりに似すぎているので驚くかもしれない。しかし精神状態が悪いと伸び伸びと筆が進まないものだ。

 


 

 高校を辞めたかやめないかのことだ。私が精神を病んで、両親は私を色々なところに連れ出した。そのときは東京から横須賀に向かっていた。

 赤いアウディに出会ったのは観音崎公園の駐車場だった。スマートという言葉がぴったりな垢抜けたカップルが乗っていた。

 ただ、女性は路上の猫をあやし、男性はハンドルに頭を置いてぼんやりと前方を見ていた。

 私たちの車が観音崎公園を出て三浦半島の突端へと向かった。リアシートにいる私は、その赤いアウディが私の車の後ろを走っていることに気が付いた。

 男性も女性も、そんな私に気付き、柔和な笑顔を浮かべ、男性は手を挙げ、女性は軽く会釈をした。

 父は外出先でも観光も何もせず宿で日がな一日寝ているので、私としても楽しくないというより苦痛である。

 私のためといいながら、お為ごかしに連れ出していやいや過ごしているのが見え見えである。私は宿での気まずい空気を考えて気が重くなっていた。

 私は、このカップルは、それでも私よりは幸せなんだろうなと思い、彼らを眺めた。彼らも私を見ていた。

 平坦で変化のない道だった。男性と目が合っている時間も多かった。しかし、ふと、彼らは私に手を振って、ブレーキを残して視界から消えた。