身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

朝の連続テレビ小説「エール」に見る女性のジャケットの丈。

 一昨日に続いてスーツの話である。

 NHK朝の連続テレビ小説「エール」を観ている。私はサラリーマン時代、ロールカラーのシャツなどを着ていて、あぁ、私の感覚というのは、この時代の感覚に近いのだなと思った。ハットも被らないし時計もクォーツの腕時計だけど。

 しかし、世界大恐慌から第二次世界大戦にかけての時代というのは、なんとなく文化的なものを感じる。『チャタレー夫人の恋人』("Lady Chattaley's Lover")なんて、この時代でなくては発表できなかっただろう。

 そういえば、ラルフ・ローレンのみならずブルックス・ブラザーズの商品もレナウンから買っていたのだが、どういう筋だったのだろうか。しかし、私が持っているもので、ターンブル&アッサーのシャツとか、当時のものは、もう使えないだろう。

 さて、そんな私が、つねづね格好わりぃなぁと思って見ているのが女性のスーツのジャケットの長さである。特にパンツ・スーツなどを見ると、あの短い丈は、なんとなく乗馬服を連想させる。

 私が通っていた高校はダブルのブレザーでナローカラーの純白の2,000円のシャツに数百円の芯もないようなネクタイをウィンザーノットで締めろという、これぞ茨城の片田舎という(さらに女子生徒のスカートを捲って裏地をチェックするという破廉恥な)学校だったのでブレザーの丈など参考にならないが、そんな極端に長くも短くもなかった気がする。

 その、私の高校時代は、女子高生のスカートの丈が、史上、最も短かった時期だ。そんな短いスカートなど売っているものだろうかと思ったら、スカートの上部を引っ張り上げて専用のベルトで止めて巻き折り返すと種明かしをしてくれた子がいた。それが隠れる程度にはジャケットは長かったということだ。その後、ジャケットの裾からカーディガンを覗かせるのが流行ったが、すでに私は高校生ではなかったので、種明かしをしてくれる友達もいなくて、よく判らない。

 そして、「エール」を見て、女学生が、何かに座るときにジャケットの裾を押さえて、その上に座るのを見て、やっぱり、お尻が丸出しということはなかったということを知った。私が丸の内に勤めていたときも、私は事務職なのでフォーマルなスーツなど着てくる女性の同僚などいなかったが、たまぁに営業部署に行っても、そんな恰好をしている人はいなかったと思う。

 これらのことを考えると女性のジャケットの丈が短くなったのは最近のトレンドのようだ。何度も繰り返すが、私は格好が悪いと思う。寓居の近くには聖心と慶應女子という制服がセーラー服ではない老舗のお嬢様学校があるが、彼らの古臭い制服の方が、私が見ると格好いいと思う。しかし慶應女子のダブルのジャケットにボックス襞のスカートというのは、いかにもという感じがする。

 しかし「エール」、高給取りなのは判ったが、あんなデカい家にお手伝いさんもいないのに、毎日、アイロンした洋服にプレスしたシャツを着て学校に通っていたのだろうか。