身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

「不幸自慢」の定義。

 一昨日、書いた、高校の同級生だが、3日、連続で金の無心の電話が架かってきている。今日は某機密情報を扱う機関にいたので電話を切っていたのだが、再度、電源を入れたら着信通知(私の携帯電話は、話中着信等があるとSMSが送られるようになっている)が10件以上。

 当初から貸さなければよかった、さらにいえば相手にしなければよかったのだが、要求以上に多くの金を送ってやったのに足りないというのは何ぞや。それ以上に、金を借りる態度ではないことに腹が立つ。

 そこで、金を借りる態度とは、どんなものか考えてみた。まず、金を借りるのは金がないときであって、まず、相手に金がないことを伝えるのは必須のアミノ酸だろう。そうなると、なぜ、金がないのかを説明する義務が発生する。今回の立腹の原因は、この辺にありそうだ。

 まず、親が32条入院になってしまってパラサイトしている自分には金がなくなってしまった。これも、かなり甘い理由だと思うが、労働の意思があり、今日から日払いのバイトをするという。これは、まぁ、貸す方としてはプラス評価の対象になろうか。最初の理由が理由なので、併せてチャラというところか。

 私も生計は障害基礎年金で立てているので、金はない方に属する。今は脱したが、親にクレジットカードで借金を作らされたとき、仕方なくリボ払いにしたら1日の食費が500円ということもあった。ちなみに、あまり当てにならない情報であるが、警察署のブタ箱の食費は1日1,000円が目安になっているという。ちなみに公費なので取り調べ中にカツ丼が出たりはしません。

 カチンときたのは、この辺である。こっちなんて白米を除いたら総菜1品でやってんだぞ! と言われたことだ。私は1日に1食はカップラーメンだし、正当な理由あって働けなくても、それを望むのは、贅沢な部類に入るだろう。

 問題は、その物言いである。(実際には、そうでなかったわけであるが)こちらは、貧しい生活をしているんですと言われれば同情する価値はあったかもしれない。それが何だ、この言い方では、お前みたいに良いもの食っていないんだぞ! というのと同義だ。

 1杯のかけそばを家族で分け合って食べてるんです、もう3日間、1食しか食べてないんです… そういう言い方をされても、私は、「正当な」不幸表現をされていると思って、さほど「不幸自慢」をされているとは思わないだろう。

 それが、金を借りようとする人間に向かって、お前みたいに贅沢はしてないんだぞと言うのは、相手に比べて相対的に不幸だということで、それは「自慢」と言っていいだろう。高級外車とまではいわなくても、1,500ccくらいの車に乗っている人に向かって、俺は軽自動車しか持っていないんだぞ! と言ったら、これは、もう、勘違い野郎でしょう。

 ここで、もう1点、新たな怒りの原因が明らかになった。私が、まだ若くて精力的にモノカキ活動していたころ、自動車の記事を書くので高級車をモニターしていたときのことだ。前を走っていた中級の下くらいの車に乗った初老の男性に、急にサイドブレーキを引かれた。その程度で衝突する運転はしていないのだが、ぶつけたと絡まれた。警察を呼んだら、「若いくせに高い車に乗ってんのが悪いんだぞ!」と捨て台詞を吐いて逃げられた。

 この新たな1点から明らかになった怒りの原因というのは、なぜ、相手が自分と違うのか理解しようとしないということだ。そのときも、その車は私が所有しているものでもないし、今回の高校の同級生も、電話に出られないところにいることや、どんな思いで金を貸してやったのか理解しようとしないことだ。

 そう考えると、相手のことを考えずに「お前と比べて…」と主張することが「不幸自慢」なのではないかと思う。例えば、もっと社会的立場や豊かさが上の人間に向かって言うことを考えて欲しい。お前みたいに夕食にフレンチを食べられないんだぞ! お前みたいに駅からの帰りにタクシーが使えないんだぞ!… はっきり言って、そういう台詞が吐けるのだったら、かなりの勘違い野郎だと思う。こっちは三ッ星の店が予約できなかったんだぞ、こっちは社用車を使わせてくれないんだぞと言われたら、どうするのか。

 結局、不幸だと主張することが自慢だと取られかねないのは、実際の不幸に比して主張が大きすぎることではないかと思う。そもそも、贅沢でなくても、3食、ちゃんと食べられていること自体、はっきり言って不幸だとは思わない。多分、アパートながらも持ち家に住んでいる私が、こっちはタワマンに住んでいないんだぞ! と言って、そこに住む人たちに金を無心したら、それは、不幸自慢にすらならないだろう。