身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

私の場合の精神病の苦しみ。

 私の診断名は「うつ病エピソード」となっている。根底にあるのはパーソナリティ障害だが、ファッショニスタ(今の主治医)は発達障害に近いと見ているそうだ。説明を受けて、なるほどなと思ったのだが、そもそも発達障害が判らないので忘れた。しかし「見捨てられ不安」という言葉を聞かなくなって、ファッショニスタの主張は裏付けられたのかなと思ったのは覚えている。

 さて私の場合の具体的な症状として、何度も書いているが、前のクズ医者のときに心臓が針の筵の上で転がされている感覚がして起きていられなくなった。かといって寝ているときは休まるのかというと、少しウトウトすると心臓が針に突き刺さる感じがしてドキッとして目が覚める。

 ここのところ、それにしか怒りが向かず繰り返し書いているが、クズ医者は、それを、ゴロゴロしたいための言い訳と言い放った。眠れないと言っても、夜更かししたいための言い訳と言った。起きているのが辛く早目に薬を服んでしまったら、服薬管理ができないとされ薬を全て切られた。

 私の症状は、すべて「言い訳」なのだそうだ。理由を訊くと「パーソナリティ障害だから。」○×だからパーソナリティ障害、ではなく、そこが理由であり、スタート地点だ。バイトから始めて社会に出る訓練しろなどと言うので丸の内の商社に勤めていたと言っても、またまたぁと、言い訳あるいは嘘とされた。

 ネットストーカーに襲われたのも、このころだ。所属する民間カウンセリング協会には今日も電話をしたが、理事長の松田は電話に出ないと言う。それは、以前、他の職員が、そのストーカーのことを「職員」と言っていたのが「会員」とトーンダウンしたので、その辺の口裏を合わせたいからだろう。Eメールも返事をしないと来た。そうなると弁護士かな…。

 

 さて、病気の症状だが、主治医がファッショニスタに変わって、心臓が針の筵の上で転がされている感覚というのはなくなった。ただ、だいぶ楽になったが、このBlogをご覧の方は御存じかと思うが、昨今、のたうち回るほど苦しい。今日も、こけつまろびつして6日ぶりにシャワーを何とか浴びた。(「こけつまろびつ」の漢字が判らないのでGoogle先生に訊いたら励まされたと思った様子。ちなみに「倒けつ転びつ」だった。)

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 弁護士として主に交通事故を扱っている友人に、精神病で死ぬほど辛いというのが判らないと言われたことも書いたが、私は、ある意味、辛い理由が判るのが羨ましいと思う。心臓が針の筵の上で転がされている感覚がした当時、感じとしては心疾患より辛いとBlogに書いたら心疾患を舐めるなとコメントが来たが、実際に、それで病院に運び込まれたときのデータを見せたら相手はコメントを引っ込めた。

 上記のような理解できない人がいることが辛いということもあるが(しかし3者取り上げたが、いちばん理解がない、つまり判らないではなく言い訳だと言い切るのが医者って…)自分自身が理解できないのが、いちばん辛い。自分でも、心不全ですら、それが精神に原因があるではないのではないかと疑ってしまう。

 このBlogの読者の方にも励ましていただいているが、甘えているとまでは思わなくても、できない自分を責めてしまう。ただ、私は、死んだほうがマシと思って死へ走ったりはしない。書くことで、原因をトライ&エラーで探している。昨日・一昨日も、原因究明をせずに死ねないという思いと、しかし、苦しくて原因究明ができないという狭間で苦しんだ。

 苦しさも、時間とともに薄れるはずだから(そうなのか?)それまで待てばいいのだが、待てない。行動できない自分を責めて悪化させてしまう。ネットなどを見ると、次には何をしでかすか判らない親の元で育ったから短時間で結果を求めようとすると書いてあったが、ちょっと違うと思う。

 苦痛を、さらに上手に表現できるようにして、もっと具体化して、そして原因を究明しなければと強く思っている。しかし、今でも、その他に恐怖に近い孤独感にも襲われている。私にとっての苦しみは、症状もあるが、その症状を自分で理解し他人に理解させ、良くしようということから来ているものが大きいのかもしれない。

 病気を回復させようとする気持ちがなくなったら苦しみもなくなりそうだが、それはそれで苦しいのより嫌だ。私は前向きに治療して生活を良くしたい。しかし一生懸命治療に前向きであろうとしているのに、それを医者が否定しては駄目だろう。クズ医者と呼ぶ所以である。