身の上話

身の上に起こった、嘘のような本当の話。タイトルは佐藤正午作品から。

「判らない」が説得力を持つとき。

 なんか、昨日から(それ以前から?)訳の判らないことを書いている。昨日、書きたかったことを端的に書けば、デマにも一部の真実があるが、それは事実を点と点を無理に繋ぐためのものであり、ちょっと考えればデマと判る。どうだ、通じなかっただろう(泣)。

 さて、今日も未消化なことを書く。前任の主治医を私はクズ医者と呼んでいる。当時、私は心臓が針の筵の上で転がされている感じがしてのたうち回り、夜、ウトウトとしても1時間もせずに心臓が針で突かれているような感じがして眠れなかった。

 担当の保健師は半年で総白髪になった私を見て驚愕の声を挙げ、実際、肺塞栓症の症状で救急車で運ばれたのだが(肉体的な原因は不明だった)、それを見たクズ医者のセリフが「のたうち回っている人が偉いということはありません」というものだった。

 一体、この医者は何を言いたいのだろうと暫し考え込んだ。暫しといっても10日ほど考え込んだ。後の診察で病人のフリと言われ、私が重傷を装っていると思っているのだと判った。演技で総白髪になるか。演技で脈拍や血圧の値が変えられるか。他人が救急車を呼ぶか。

 その時、私は刑事事件を起こして(蛇足だが校閲的に「犯罪を犯す」は二重形容になるのでNGだそうだ)逮捕されたのだが、そのとき、病院に同行した刑事は、何だあの医者と憤っていた。私は、事件を犯したのも、その医者のせいだと思っている。

 私の弁護士は、私が服薬時間を守らずに眠剤を昼に服むとクズ医者に言われ、眠剤は寝るときに服むのは常識であって苦しくて寝たいという気持ちが判らないようだと言っていた。病気のことについて弁護士に物を言われる医者というのは如何なものか。

 法廷では、検察に、事件を起こすのは、あの医者に掛かってからだ、あの医者に掛かっていては再犯すると言われ、私の弁護人にも医者が悪いと言われ、ぜひ傍聴に来てもらいたかった。誰か証人喚問すれば良かったのに。

 私をガキだと括り、最初はアルバイトから始めて仕事ができるようにするんですよと言って同行者が笑った。同じサラリーマンでも勤務医など鼻で笑ってしまようなサラリーを取って社会的評価もある会社にいたのに知らないのかねと。

 今年独立して、カルーになど金を払っているので失笑している。カルーも以前のように明からさまなステマというのはやっていないようだが、点数5を付けているのが全て院内アンケートってどうよ。アンケートの母数からいくと、院内アンケート以外は全て1を付けていることになる。しかもカルーで。

 医者の分際で、しかも総合病院なのでさらに前任の医師から引き継いでいるので初診をしていないのに、決め付けで患者を診療するのはどうかと思うが、決め付けとはいかないものの、安易に判らないと言ってしまうのは、やはり残念に思う。

 服薬状況を見て私の心理状態を推測する弁護士には驚いたが、当時の担当保健師のように総白髪になった私を見て私の状況を察するとか、何かしらサインを見付ける人が「判らない」というのは説得力がある。

 その辛さは理解できないが、辛さの程度は総白髪になるほどなのだともうと言われると、前エントリーで書いた事実を無理に繋げてストーリーを作るようには思えないからだ。

 以前、精神障害者自立支援センターの所長に身体が動かないのが判らないと言われ説明するのに辟易したことを書いたが、無理にストーリーを作らないのはいいとして、その痛みは感じたことがないから判らないと言われたら、それはそれで残念である。

 なんか小論文の書き方講座みたいになってしまうが、結局、事実を事実として踏まえ、それから類推すると… というのは、非常に説得力がある。これだけ点を集めたのに事実が繋がらないんだよというのは、本当に説得力がある。

 他方、今の主治医の言葉を借りると「事実に謙虚に耳を傾ける」ことをせずに「判らない」と言われると、非常に残念である。無理に点と点を繋ぐよりはいいが、点を見ようともしない。結局、「判らない」は認知しうる最大限の点を探した人に言ってほしいと思う。

 当たり前のことであるが、こじつけもせず、客観的に物事を見て、最大限の努力をしたのだけど「判らない」と言われると、あぁ、本当に判らないんだと思う。